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酔生夢死の世の中を渡るには、それなりの覚悟と知恵がいる。そんな覚悟も知恵もなく歩んできた人生の好きなことを、好きなように書き散らしました。

仙厓和尚「老人六歌仙」より [エッセー]



日本の高僧の中で私が好きなのは、忍性・親鸞・法然・一休宗純・良寛・沢庵・白隠・仙厓和尚などである。
最も嫌いなのが日蓮だ。あのような激しいつ・押しつけがましい性格は好きになれない。同じ激しいのでも、一休は権力者や権威を笠に着た坊主を批判したが、日蓮は自分の信じる法華経だけが正しいとして他の宗派を批判した。

良寛・沢庵・白隠・仙厓などの禅坊主は捉え所がないが、それぞれ個性があって洒脱だ。
さて、本日とりあげる仙厓和尚は美濃の産だが、縁あって博多の日本最初の禅寺といわれる聖福寺第123世住持となった。風刺のきいた軽妙な墨絵を描いて、殿様から庶民まで身分の分け隔てなく平易に教え、博多の人々に「仙厓さん」と愛されて87歳まで長生きした。

以下は仙厓が詠んだ「老人六歌仙」である。

1.しわがよる、ほくろができる、腰まがる、頭ははげる、ひげ白くなる。
(顔に皺がより、肌にほくろができて、腰が曲がり、頭髪は薄くなり、髭が白くなる)

2.手は振れる、足はよろつく、歯は抜ける、耳は聞こえず、目はうとくなる。
(手が震え、脚がよろめき、歯は抜けて、耳が遠くなり、視力が低下する)

3.身に添うは、頭巾、襟巻、杖、眼鏡、たんぽ、温石(おんじゃく)(注)、しびん、孫の手。
(身に付けるのは、頭巾や襟巻、杖、老眼鏡、湯たんぽ、かいろ、尿瓶、孫の手)

4.聞きたがる、死にとむながる、寂しがる、心はまがる、欲ふかくなる。
(人が話していると間に入って聞きたがり、死を恐れ、寂しがり、心がひねくれ、強欲になる)

5.くどくなる、気短になる、ぐちになる、出しゃばりたがる、世話やきたがる。
(くどくどと、気短になり、愚痴が多くなり、出しゃばりで、人の世話を焼きたがる)

6.またしても、同じはなしに子を誉める、達者自慢に人は嫌がる。
(いつも子供の自慢と自分の健康自慢の同じ話を繰り返すので、人に嫌がられる)

六歌仙(6人の老歌人)の墨絵の戯画に添えられた詩句は、老人の醜態を風刺して軽妙に表現している。
すなわち、人間は年を取ると
①身体の老化現象が顕著になり、
②身体機能が低下する。すると気持ちも萎えて、
③身なりが年寄りくさくなり、
④孤独と寂しさから精神が屈折し、
⑤態度があくどく、頑固で出しゃばりになり、
⑥同じはなしを何度もくりかえすような行動をするものである。
加齢による心身の衰えからくる高齢者の醜態や身勝手な態度を的確に表現しており、わが身を振り返ると、その兆候に気付き反省することが多い。

仙厓和尚の「老人六歌仙」を戒めとして、加齢による身体的な衰えは避けられないが、適度な運動習慣で身体機能を保全し、知的好奇心を旺盛にして精神的な年齢は若々しく保ちたいものである。

(注)温石(おんじゃく):焼いた軽石を布などに包んで身体を温めるもの。(『広辞苑』)

しかし、この仙厓の絵に描かれた老人たちの表情は、豊かであり笑いに満ちている。身体的脳の衰えなどは気にせずに、老人であることを楽しめと言っているかのようだ。

不謹慎? [エッセー]



本日の話題はハイライトである。ハイライトは、たばこの「ハイライト」である。普通はハイライトと言うと、いわゆる名場面のことであるが、あれはhighlightと綴る。しかし、タバコのハイライトはhi-liteと綴るのだ。どうしてこのような綴りなのかは専売公社に聞いてもらうしかない。

 ハイライト 英語で綴れば hil-lite

 hi-lite そのまま読めば 「開いて」だ

 hil-lite hを取れば 「入れて」なり

 開くまで 入れてはならぬ 百合の花

 開いたら 入れねばならぬ 壺花瓶

 開いたら 入れて出すのが タバコの煙

 入れて出す 嬉し恥ずかし 質屋かな


本日の日記はみなさんの想像を刺激するものでしたでしょうか。どんな刺激を受けたのか。まあ、中学生じゃあるまいし、こんな程度で喜ぶ年齢でもないけれど。

渋い顔して生きていくよりも、明るく笑ったほうが世の中を渡りやすい。本日のお笑いを生きる糧としてもらえれば喜びである。


良い人生とは [エッセー]


 日本人は、古来この世を去るに当たり、辞世をしたためるという習慣があった。

 死の直前にしたためるばかりではなく、自分の死生観を基に、この世を去るときの思いを、事前に用意しておいてももちろん、辞世と認められる。

 第一、死の直前によい言葉や考えが浮かぶはずもない。覚悟の自殺の場合は別だが、ほとんどの場合は意識が朦朧としているはずだから。

 さて、私が一番好きな辞世は新門辰五郎のそれである。

 町火消、鳶頭、香具師、侠客、浅草浅草寺門番であり、彼の娘は最後の将軍、徳川慶喜の妾になった。
 また、最後の将軍の親衛隊長でもあり、勝海舟とともに、いざとなったら江戸を火事から守る手はずなどにも取り組んでいた。

 彼の辞世は実に見事なものだ。私がいう「見事」とは、勇ましいとか、壮絶とか言うことではない。彼の死生観をきちんと表していると思うからだ。

「思ひおく 鮪の刺身 鰒汁(ふぐとじる) ふつくりぼぼに どぶろくの味」

 つまり、鮪の刺身と鰒汁、そして美人の女性器をいじくりながら飲むどぶろくの味が最高だと言っているのだ。

 昭和の軍人の辞世は勇ましいけれど。その内容も本心を明かすわけにはいかないと言う制限から、あまり生き生きとはしていない。それに比べるとなんとこの辞世の生き生きとしていることか。

 この世には未練が多い人も、何の未練もない人も、いずれは露と消える生身の生を生きているのだ。大いに、ほがらかに人生を楽しみたいものだ。そのためには自分なりの死生観をしっかりと持たねばならない。

あと7000回くらい [エッセー]



 あと7000回くらいになった。何がそうなのかは最後に述べるとして、その前に私の幼少時を振り返る必要がある。私は幼い頃、ひどい偏食児童だった。炊きたての湯気が出るような白い米粒に、黄色い卵液をかけて醤油を垂らす。それが私にとっての最大のご馳走だった。その他に食べられるものと言えば、海苔、白身の魚、鯨、鶏と肉類などと、野菜ではモヤシ、キャベツくらいだった。ともかく酷い偏食児童だったので、母を大いに困らせた。野菜の持つ食感、苦みなどが嫌いでほとんど食べなかった。この状態はほぼ大人になるまで続いた。
 そんな私でも酒の味を覚えてからは野菜がとても好きになった。今まで食べたことがない野菜もどんどん食べる様になり、今ではカボチャの甘く煮た物とゴーヤー以外なら、ほとんどなんでも食べる。
 
しかし、世の中というのは皮肉なもので、何でも食べられるようになったうれしさのあまり、長年に亘って暴飲暴食を繰り返したため、ついに生活習慣病になってしまった。
「残念ながら、立派な生活習慣病ですな。あと1年早く来てくれれば、なんとか食い止められる状況だったですがねえ」と残念そうに、医者が精密検査の結果を私に告げた。
「はあ。そうですか」と、がっかりしながらも、意外に冷静に聞いている私。自業自得だとは、どこかで自覚していた。
「まずは、体重を5キロ落としてください。薬を出しておきますから。2ヶ月事に定期診断を受けてください。それではお大事に」
「ああ。俺はもう大好きな揚げ物を食べられないのか。大好きな酒も飲めないのか。これから、どうなるのだろう、どうすればいいのだろうか。以前のようにはできないのか、食生活は」と呟きながら力なく病院の門を出て、帰路に就いた。

あれからもう十数年の歳月が流れた。薬は飲み続けているが、途中で数値が良くなったこともあって、少し薬が減りそのままの状態が続いた。しかし、最近になって数値が悪化する一方である。加齢と共に基礎代謝に必要とするカロリーが少なくなってきたのだろう。また、最近は膝の痛みに耐えかねてあまり散歩をしなくなったことも、太りやすくなった原因のひとつなのだろう。
野菜が好きだとは言ってはみたものの、おかずを全品野菜ばかりにするわけにもいかない。酒が飲めないのなら、いっそ死んだほうがましだという酒好きの私には、飲食の楽しみを我慢するのはとても辛い。薬が増えたり、注射を打つところまではいかずに済んでいる。だが、数値が徐々に悪化していくのは、もっと食生活を規制しろと言われているのと同じであり、なんとも嘆かわしい。

 「少欲知足」とうことばがある。私はこの言葉を人生の座右の銘としているくらいだ。だが、実際には金銭欲や物欲、名誉欲などというものは少欲知足の世界に片足を入れられことは多少の自慢と共に自覚できる。また、美人には弱いが、定年退職した男に、美人と出会う機会など訪れては来ないので、色欲も自然と縁遠いものになった。しかし、飲食の欲望は人並みの欲望から少しでも脱却できたという感慨は全くないない。
今なら、亡くなった母親に向かって、「母ちゃん、あれだけ偏食が酷かったこの俺が、今では何でもたべられるようになったよ」と感謝の意を捧げられる。だが、その時には、すでにカロリー制限という、世にも困難な的が出現したのであった。
はてさて、自らの欲望に任せて飲食を楽しめば、ますます病気は悪化し、長生きできないことは明白である。しかし、長生きはともかく健康にいきたいという欲望はある。
 
ハムレットは言った。「生か死化か、それが問題だ。」なんとも高尚なセリフではないか。
私は心中密かに呟く。「食うか、食わないか。飲むか飲まないか。それが問題だ。」なんとも無様な生き方ではないか。しかし、これが私の生き方だ。
たとえどんなに無様な生き方でも、笑って過ごせたら、最高の人生だ。仮に私が日本人男性の平均寿命まで生きられたとしても、夕食の回数は7000回程度でしかない。
だから、夕食は年老いた妻と共に笑って楽しく過ごしたいし、食事の時以外もいつでもどんなときでも明るく笑って過ごしたいものだ。

たましいの秋のほたる [エッセー]


 
たましひのたとへば秋のほたるかな  飯田蛇笏  昭和2年作『 山廬集』所収

私は俳句には詳しくないので、俳句に詳しい人の解説を参照にした。この句は、芥川龍之介の死を悼んだものであるらしい。

「秋のほたる」は「残る蛍」「病む蛍」とも良い、既にあまり飛ぶ元気はない。
 したがって、この秋の蛍のがはかなげに消え入る様みえる。そして、それは別れを告げに来た魂として思い浮かべられたのだという。

意味は、以下のようになる。
亡き人の魂魄はたとえてみれば秋の蛍のように薄く青白い光を曳いて闇の中に消えてゆこうとしている。

そういえば、小林秀雄はこんなことを書いている。
「母が死んだ数日後の或る日、妙な体験をした。仏に上げる蝋燭を切らしたのに気付き、買いに出かけた。私の家は、扇ヶ谷の奥にあって、家の前の道に添うて小川が流れていた。もう夕暮であった。門を出ると、行手に蛍が一匹飛んでいるのを見た。この辺りには、毎年蛍をよく見掛けるのだが、その年は初めて見る蛍だった。今まで見た事もないような大ぶりのもので、見事に光っていた。おっかさんは、今は蛍になっている、と私はふと思った。蛍の飛ぶ後を歩きながら、私は、もうその考えから逃れる事が出来なかった。」

愛する人を残してこの世を去った人は、愛する人に何か伝えたくてもすでに音声を発する肉体を持たない。そこで、蛍や蝶々の身を借りて、愛する人にさようならを告げに来るのだろう。小林秀雄の母親は、愛する息子に「じゃあ、おっかさんはこれであちらに旅立つよ。お前も、次に会うまでは達者にしといておくれよ」とでも言いに来たのだろう。それは、日本人なら容易に頷ける話なのだ。

私の母が亡くなったときのことを思い出す。その時は、古い実家の人まで私が一人で母の棺を見守っていた。部屋の灯りはともしていた。すると、格別電力を沢山消費したわけでもないのに、突然電気のブレーカーが落ちて、辺りが真っ暗になった。仕方がないので電気のブレーカーを入れ行った。すると、再び先ほど同様にブレーカーが落ちたのである。その時、私は、「ああ、母ちゃん、いよいよ旅立つとね。分かれば言いに来たとね、さよならね。」と胸中思ったものだ。あれは、真夏の暑い夜のことだった。母親ならば、例え幽霊が出たとしても会いたかったと今でも思っている。