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酔生夢死の世の中を渡るには、それなりの覚悟と知恵がいる。そんな覚悟も知恵もなく歩んできた人生の好きなことを、好きなように書き散らしました。

無常 [エッセー]

 死ぬものは死にゆく躑躅燃えてをり 臼田亜浪
 
 つつじの燃えあがる赤は生命の燃焼の激しさそのものだ。だからこそなお一層、燃え上がる生終焉である死が意識される。どんなに巨大な蝋燭でもいつかは燃え尽きるように、燃え続ける命というものはない。生と死の奏でる激しくも哀しい音楽である。
 
 空海の『秘蔵法鑰』には、このような言葉がある。
 生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めにくらく、死に死に死に死んで死の終りにくらし。
 
 自分はどこから生まれ、どこへ死んでいくのか、生まれるとは何か、死とは何かと言う一大事を、人はなおざりにして何も考えずに人生をおくっている。無常迅速である。便々として日々を送ってはいけない。

「蓼(りく)莪(が)の詩」「詩経 小雅・蓼莪」より。 [エッセー]

「蓼(りく)莪(が)の詩」「詩経 小雅・蓼莪」より。
蓼蓼者莪
匪莪伊蒿
哀哀父母
生我劬勞
蓼蓼者莪
匪莪伊蔚
哀哀父母
生我勞瘁
缾之罄矣
維罍之恥
鮮民之生
不如死之久矣
無父何怙
無母何恃
出則銜恤
入則靡至
父兮生我
母兮鞠我
拊我畜我
長我育我
顧我復我
出入腹我
欲報之德
昊天罔極
南山烈烈
飄風發發
民莫不榖
我獨何害
南山律律
飄風弗弗
民莫不榖
我獨不卒

書き下し文

蓼蓼(りくりく)たる莪(が)
莪(が)に匪(あ)らず伊(こ)れ蒿(こう)
哀哀(あいあい)たる父母
我を生んで劬(く)労(ろう)す
蓼蓼(りくりく)たる莪(が)
莪(が)に匪(あ)らず伊(こ)れ蔚(い)
哀哀(あいあい)たる父母
我を生んで劬(く)労(ろう)す
缾(へい)の罄(つ)くるは、維(こ)れ罍(らい)の恥
鮮民の生くるは、死の久しきに如かず
父無ければ何をか怙(たの)まん、
母無ければ何をか恃(たの)まん。
出でては則ち恤(うれ)いを銜(ふく)み、
入りては則ち至る靡(な)し。
父や我を生み、母や我を鞠(やしな)う。
我を拊(な)で我を蓄(やしな)い、我を長じ我を育て
我を顧みて我を復(まも)り、出入に我を腹(いだ)く
之が徳に報いんと欲するも、昊天(ごうてん)極まり罔(な)し
南山 烈烈(れつれつ)たり、飄風(ひょうふう)発(はつ)発(はつ)たり
民 穀(よ)からざるは莫(な)きに、
我独り何ぞ害(そこな)える
南山 律律(りつりつ)たり、飄風 沸沸(ふつふつ)たり
民 穀(よ)からざるは莫(な)きに、
我独り卒(お)えず


意味
柔らかく長く伸びた蓬の若葉よ  (蓬が「莪」と言われる頃には、その葉は食用に供された)
峩がいつしか変じて、ただの草になってしまった。
いたわしきわが父母よ
私のような出来の悪い子を産んで、散々苦労の末、死んでしまわれた。(莪として産み育んでくれたのに、いつしか蒿になってしまった)
やわらかなる蓬の若葉、
変じて、唯の草になってしまった。( 蔚は、おとこ蓬ともいい、食用には適さない)
いたわしきわが父母よ
私のような出来の悪い子を産んで、散々苦労の末、死んでしまわれた。
徳利の酒が空になるのは、酒樽の恥だという。( 缾は小さな酒器で、罍は大きな酒器のこと。それぞれを子と親に喩えている。)
一人貧しく生きるより、早く死んでしまった方が益しだ。( 鮮民とは、孤独で貧しい人民をいう。)
父がいなければ何を頼み、母もいなければ何を頼みとして生きていこうか。
外へ出れば哀しみがこみ上げてくるし、家に帰れば帰るで寄る辺とてないのだ。
父母は私を生み育てて下さった。
私を撫でるように可愛がり、育んでくれ、( 鞠とは鞠育の意で、養い育てること。蓄とは蓄育の意で、飼い養うこと)
私を見ては良く守り、いつ何処に行くにも私を抱いて下さった。
その御恩に報いようと思っても、天は広大で果てしが無いように、その高い恩には報いようも無い。( 昊天とは、はるかに高く広大な天空)
南山は寒気厳しく、風は激しく吹き募る。( 南山は別名 泰山(東嶽)ともいう)
人は皆親子で幸せそうに暮らしているのに、私だけがどうして、それが出来ないのだろうか。
南山にはヒューヒューと、つむじ風が吹きすさぶ。
人は親子で幸せそうに暮らしているのに、私だけが親に対して、子としての務めを果たすことが出来ない。

解説

この「蓼莪の詩」は、古来この詩を読む人で涙を流さない者は未だ無く、またそれを耳にして、「哭かない者は人に非ず」、とまで言われてきた涙の結晶の歌でもある。

漢帝国の絶対専制君主であった武帝などは、蓼莪の詩を聞くと、自分の不徳を嘆いて、しばらくは行いを慎み善政を行った、とも言われる。



賢人の名言1 [エッセー]

人生を切り拓く 英文対訳 名言は力なり 講談社 から
野末珍陳平、J.B.シンプソン、隈部まち子、金田一春彦

トーマス・ブラウン
Thomas Browne (スコットランドの哲学者)

Think it more satisfaction to live richly than die rich.

カネを持って死ぬより豊かに生きることのほうが本望だと思うように

生年不満百 [エッセー]

生年不満百 無名氏(古詩十九首第十五子首)

原文
生年不滿百、
常懷千歳憂。
晝短苦夜長、
何不秉燭遊。
爲樂當及時、
何能待來茲。
愚者愛惜費、
但爲後世嗤。
仙人王子喬、
難可與等期。

書き下し文
生年は百に満たず、
常に千歳の憂いを懐く
昼の短き 夜の長きに苦しまば、
何ぞ燭を秉って遊ばざる
楽しみを為すは当に時に及ぶ、
何ぞ能く來茲を待たん
愚者は費えを愛惜し、
但 後世の嗤と為る
仙人王子喬、
与に期を等しくすべき難し

現代和訳/通釈文
「どうせ人は百歳までは生きられないのに、
いつも千歳までも生きるかのように心配ばかりしています
昼は短く夜は長いのがつらいならば、蝋燭を点して遊びましょう
楽しむためには今を逃してはなりません、来年など待っていられましょうか
愚かな人は散財を惜しんで、後世の物笑いの種になるだけです
仙人になった周の王子喬のようには、とても誰もなれないのですから」

愚かな金持ち [エッセー]


ルカによる福音書12章16節から21節まで、「愚かな金持ち」の喩えがある。短いので引用しよう。イエスの喩え話は、だいたい複数の福音書に書かれているのだが、この喩えはルカによる福音書に書かれているだけで、他の福音書には書かれていない。必要上12章13節から引用する。
12:13 群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」
12:14 イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」
12:15そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」
12:16 それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。
12:17 金持ちは、心の中でこう良いながら考えた。『どうしよう。作物をしまっておく場所がない。』
12:18 『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまっておこう』
12:19 そして、自分のたましいにこう言った。『たましいよ。これから何年先分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べたて、飲んで、楽しめ』
12:20 しかし神は彼に言われた。『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』
12:21 「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりだ。」
イエスの時代から貧富の格差が拡大していたようで、貸借と財産に関する訴訟が非常に多くなっていた。土地はすべて長子(長男)が、その他金品等の遺産についてもその3分の2を長男が相続する権利があったようだ。しかし、寡婦しかいない場合など、個々のケースで難しい問題が生じていて、裁判の過程で賄賂が横行する余地があったと見られる。
さて、ここでイエスが言いたかったこととは、どんなことなのだろうか。ポイントは2点あるようだ。
1 富を蓄えても死んでしまえば役に立たない。
2 残された富は誰の物になるのか、つまり、相続の問題である。
金持ちは、豊作を目の当たりにして、これを神の恵みだとは思わず、今後は食べて飲んでの飽食が楽しめると喜んでいる。まさに、その夜、夢で神の使いが、お前の命は今日神に返還される(命は神から貸与されたものと考えられている)と告げられた。富がいくらあっても、死すべき者である人間には、死は避けることのできないものだ。貧乏であろうとお金持ちであろうと、時間と死だけは平等である。富に執着がある人ほど「死」を脅威に感じるに違いない。
最後に「お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」と譬の中で問いかけを行い、富(富と権力は密接な関係がある)の相続を問題にする。富は長子(長男)が相続するのが普通であったが、この時代からすでに訴訟が多くなっていたようで、身内の争いを招ことがしばしばあったようだ。
冒頭で引用した12章13節と14節からそのことが伺える。
12:13 群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」
12:14 イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」
当時の裁判や調停の結果がどんなものであったのかは知らないが、結局のところ、富は世襲される以外にない。当時でも大祭司や律法学者、あるいは学者になるのにも莫大な費用が掛かる事から、世襲するものが多かったらしい。そして、富と権力の世襲が硬直した社会を悪化させ、貧富の格差を助長する。それは、イエスの誕生ら二千年後の今日の日本でも少しも変わらない。
宗教上で勧められることは、世俗の理論とは別の次元である。宗教上の考えならば、全ての者は神からの賜り物であり、死んで行く人間は全てを神に返せということになるのだ。しかし、世俗の論理では自分の稼いだものは自分が努力して稼いだものを自分が最も愛する者、つまり、子孫に残すというのは資本主義社会では当然のことだ。
また、一定額以上の相続をする場合には、強制的にその1パーセント程度を徴収するというのもよい。能力があるにも拘わらず、経済上の理由によって大学に進学できない若者に、その徴収した税を寄贈するようにすればどうだろうか。



さようなら [エッセー]



 私はいくつもの「さようなら」を重ねてきた。どんな人でも何らかの形で「さよなら」をいくつかは経験しているだろう。

 最初の「さようなら」は、故郷との別れである。大学に入る前から、私は故郷に戻るという気持ちを捨てていた。私が就きたいと思った職が故郷にはなかったからだ。これは、意識的な別れである。
そして、故郷を離れると同時に、故郷で一緒に遊んだ友人たちとも、自然に疎遠になっていった。これは、意識的な別れではなく、結果的に別れという形になったものだ。また、今更彼らと再会しても、過ごしてきた時間が違いすぎて、意思の疎通はできないと思うから、再会するつもりはさらさらない。

 次の「さようなら」は、会社に入ってから出会った人たちとの「さようなら」である。会社には転勤が付き物であるから、これは数が多い。私は、ほぼニ年に一回の割合であちこちと勤務場所が変わった。大阪、東京、ジャカルタ、東京、ジャカルタ、東京、バンコク、東京、欧州、東京というような具合である。当然ながら、同じ会社の人間でも勤務場所が変われば「さようなら」があり、取引先の人々もまた顔ぶれが変わっていく。また、転職すれば新たな出会いもあるし、「さようなら」もたくさんある。仕事柄華僑との付き合いも多かったが、彼らのうちの何人かは、もうこの地上では会えなくなった。

 そして、この地上で私を最も深く愛してくれた、また、私が最も愛した両親との別れを経験した。妻の義父母とも永遠の別れをした。肉親との別れは、愛が深い分辛いものだ。
「さようなら」が明日に繋がるのなら、辛くない。子どもの頃の「さようなら」は、その下に「また、明日」が続くから、少しも辛くない。

 しかし、年老いた親が亡くなったときの「さようなら」は本当に辛い。それは、親に恩返しをしようと思いながらも、少しも経済的、精神的余裕ができなかった自分を責めるしかないからだ。
さて、ここから少し個人的感想から離れる。

 竹内整一という東大教授が書いた本に、『日本人はどうして「さよなら」と別れるのか』というのがある。その本によると、世界のいろいろな言葉の「さようなら」に該当する別れの意味を持つ言葉を分類してみると、ほぼ三つに分類できるそうだ。

 一つ目は「神とともにあれ」というタイプである。これは英語の”Good-bye”つまり “God be with you” だとか、フランス語の”Adieu” 、あるいはスペイン語の“Adiós”とかである。それにイスラム教徒なら朝も昼も、さらに夜でも挨拶は「アッサラム・アライコム」だ。「あなたに平安がありますように」という意味だ。

 二つ目には、再び会いましょうという意味である。これには、中国語の「再見」とか、スペイン語の”Hasta la vista”あるいは” Hast mañana”、イタリア語の”Arrivederci”とかである。

 三つ目はうまくやれという意味の言葉だ。英語では”Farewell”、韓国語では「アンニョンヒ・ケセヨ」(アンニョンは漢字では安寧)などがそれに該当する。

 さて、人と別れるときには、日本語では「さようなら」と言う。元々、「さようなら」というのは「然様ならば」(そうであるならば、すなわち、それでは)という意味だ。

 どうして日本人は、世界の標準的意味合いとは全く違う別れの挨拶をするのか、というのがこの著書の眼目である。この本を読み進めていくうちに、日本人の持つ文化や死生観が読み取れて実に面白くて、刺激的な本である。私も、いつかこのような形で、自分なりの経験や感想をまとめることができたらいいなと思う。

 ところで、最近の若い人は「さようなら」という美しい日本語を使わないで、「バイバイ」とか、ふざけた形の「バイナラ」とかですませるのだろう。若い人たちにも、「さようなら」という美しい響きのある言葉をもっと大切にしてもらいたいものだと思うのは、私ばかりではないはずだ。