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酔生夢死の世の中を渡るには、それなりの覚悟と知恵がいる。そんな覚悟も知恵もなく歩んできた人生の好きなことを、好きなように書き散らしました。

七妖伝 第三回 変人義一 [小説]


「わっはっは。いやあ、面白かった。妖怪どもめ。ざまあ見ろだ」
「こら、こら。七福神の一人ともあろうものが、そのようなざまあ見ろなどという下品な言葉を使ってはいけない。どうも毘沙門天さんは気が急くし、下品な言葉遣いが多いな。福禄寿さんや布袋尊さんみたいにゆったりとしなさいよ」
「いや。これは痛い所を突かれました。少しばかり修行が足りませんで。これから注意します」
「いやあ、分かって頂ければ幸いです。我々は妖怪どもと違って、喧嘩などはしないですからな」
「それにしても、恵比須さんの鯛で猫を釣る腕前には驚きましたよ。大したもので」
「いや。それよりも毘沙門天さんの蹴りの強烈なことには、もっと驚きました」
「あれは、ほんのお遊び程度に軽く蹴ったんですがねえ。それよりも、大黒天さんの伏姫の幻はやはり超一流の域に達しておられる。相手が人間なら他愛もなく騙せるが、妖怪を騙すことは相当にレベルが高い技術がないと出来ない相談ですからね」
「まあ、神々同士ではあまり褒めも貶しもなしにしましょう。人間が我々の事を知ったら、神様も人間と変わらないなどと自惚れますから」
「はあ。全くですね。人間というのは、自分は何もできないくせに、やたらと見栄を張って自慢話をするし」
「まあ、しょうがないのでしょう。それが、人間というものです」
「本当ですね」
そこに弁財天がひょっこり現れて、三柱の神に言う。
「みなさん。太上老君がお呼びですよ。何か、ありましたか」
「なんだろう。でも、弁財天さんはいつ見ても美しいね」
「まあ。お世辞の上手いこと」
三柱の神が太上老君の前に出ると、渋い表情で太上老君が話を切り出した。
「諸君は少しばかり派手にやってくれたな。猫又と八房が、九尾の狐に訴えたものだから、九尾の狐がかんかんに怒ったらしい。九尾の狐も莫迦ではない。妖怪をこんな目に遭わせることが出来るのは、天上界の神々に違いないと思ったのだろう。それで、昔中国に住んでおったよしみと伝手を使って、こんなことをしたのはどの神様なのか調べてくれと依頼が舞い込んで来た。もちろん、私は調査などする気はない。私も九尾の狐も、中国に住んでいたとはいうものの、九尾の狐はインドにも日本にも住んだことがあるのに、私は中国にしかいなかったから、特別にどうという感慨もない」
「私達だって、中国やインドから日本に来て七福神になっているわけで。日本古来の神様はこの恵比須さんだけですし。あの狐が中国にいたからといっても、特に太上老君に依頼できるようなものではないかと思いますが」
「そうなのだが、ほれ。あの九尾の狐は美人に化けるのが上手い。私の留守中に、私が使っている下界の手先の一人があの狐に誑かされて、依頼書を預かったらしい。それが転々として私の手元に届いた。あの九尾の狐のような妖怪が、この天上界に直接来られる訳はない。あの独特の生臭い嫌な臭いですぐに分かるからな。天上界の子供にだって分かる。だが、下界の手先を経由して来たのであれば、誰の依頼かよく分からなかったというのもありうる事だ。もちろん、私はこんな書き物は無視する。ただ、あの狐は怒り狂うと何をしでかすか分からないのだ。それで、少しばかり心配しておる」
「ご心配をおかけして申し訳ありません。あのような妖怪達を退治するのは、訳もないのですが、人間には妖怪の脅しが利きますので、全面退治するわけにもゆかず、放置しております。莫迦と鋏は使いようというやつでして。人間に反省を与えるためには、あの妖怪どもも、道具としてはなかなか便利なものです」
「莫迦だなんて、随分と下品な言葉だな。毘沙門天君は少し言葉遣いに注意した方がよいな。まあ、君達も気を付けていてくれ。用事はそれだけだ。私はこれから瞑想に入る」
「それでは、失礼します」

その頃、山下義一は久しぶりに訪問してきた従妹の堂島真智子に向かって、滔々と喋っていた。
真智子の夫の叔母の三回忌があって、久しぶりにこの村の隣にあるF市に来たついでに、義一を尋ねてきたのだ。
無数と言っていいほどある七福神を目の当たりにして目を白黒させている真智子に向かって、滔々と七福神の説明をしているのだ。
恵比須、大黒天、毘沙門天については、以前説明したので省くが、残りの四柱の神々について、彼が真智子に語ったところによるとこうだ。

インドの出身の弁財天は、一般に弁天様として親しまれ、七福神のなかでは唯一の女神である。弁財天はサンスクリット語でサラスヴァティーという、サラスは水のこと、ヴァティーは持つということを表す。
元来、水を司る女神であるが、滔々と流れる水の流れから、弁舌や音楽の神として崇められるようになった。密教では琵琶を持つ弁財天の姿も見られる。
弁舌や音楽の神ということから、日本では学問の神様、学芸全般の神として信仰されるようになった。
日本に伝わった当初は「弁才天」と表記されていたのだが、財宝や美しさを与える吉祥天と並んで説かれていたために習合されて、学芸全般、そして財宝の神様として祀られるようになり、名前も「弁財天」に改められたのである。
一般に弁財天は、体は白くて、頭上に白蛇を冠している。また、手には宝珠・宝棒・印鐘・如意珠などを持っている。白蛇が弁財天の使いとされるのは、後世に弁財天と功徳が似ている宇賀神将と混同されたためだという説があるらしい。
福禄寿と寿老人は、どちらも中国の道教を起源とする神である。
中国人は、人生の三大目的として福、禄、寿を考えている。言うまでもないが、福とは幸福のことであり、禄とは身分のことであり、寿とは長命のことである。そのすべてを兼ね備えた神が福禄寿である。
福禄寿は道教で祀る星宿の生を司る南極老人の化身とも言われるが、短躯で頭と胴がほぼ同じ長さであり、さらに白い髭を生やしている。長寿のシンボルともいえる鶴を伴っている。
福・禄・寿を具えた神は、人徳も備わっているということから、人徳の神としても親しまれている。
一方の寿老人は、福禄寿が長頭短躯で鶴を従えているのに対して、寿老人は白髭をたくわえた均整のとれた姿で鹿を従えているところが描かれている。鹿はロクと読み、禄に通じるところから、延命長寿、福禄の神とされるのだと言う。
一般に、神社で祀られるときは寿老神と書かれる。別に樹老人と書かれるときもあり、樹木の生命力から長寿を象徴する。
布袋尊は、七福神のなかで、唯一実在の人物をモデルにしているのだ。布袋和尚は、唐代末期の僧で、名を契此といった。
いつも手に杖を持ち、大きな布袋を背負い、太鼓腹で街中を閑歩していた。背は低く、額や鼻にシワを寄せ、満面に笑みを浮かべた姿は愛敬があったと言われる。
超能力の持ち主であり、雪の中に寝ても少しも濡れず、人の吉凶を占って百発百中だったとも言う。
このように延々と続く義一の説明に真智子は匙を投げていた。
真智子には七福神なんかに頼らなくても、この世知辛い世の中を立派に生きていける頼り甲斐のある夫がいた。
幼い頃には真智子は義一と時々一緒に遊んだが、その当時から変人だと言われていた義一の面影はやはり残っていた。
真智子は心の中で、人柄は良いのだがどこか変人の従兄と次に会うのは、どちらかの葬式の時だと思っていた。つまり、どちらかが口も利かない亡骸になった時にしか会わないだろうと思ったのだ。
義一の話が終わると、真智子はそそくさと席を立ち、挨拶もそこそこに電車の時間を理由に引き上げた。
もちろん、F市までは義一の車で送ってもらうつもりだったが、車の中井でも七福神の話をされては堪らないので、タクシーを呼んで貰った。
お金持ちのダンナのお陰で、タクシー代などは多少高くても、真智子の財布は傷まないのだ。
別れ際には、真智子には困った話まで出た。
「真智子ちゃんの住んでいる鎌倉の七福神に参拝したいと思っているから、そのうち遊びに行くよ。よかったら、是非真智子ちゃんに案内して欲しいものだ」
「私は、今実家の父の介護で手が離せないのよ。ごめんなさいね。義一さんが鎌倉にいらしたら、妹のところの子供の智佳子が案内するわ。鎌倉にはいつでもいらして」
「再来年が小田原の伯母さんの七回忌だったね。その時にでも鎌倉に寄ろうかな」
「あら。小田原の伯母さんの七回忌は三年後よ。まあ、いつでも鎌倉にきてください。それじゃあ、これで帰ります」
真智子はすっかり当惑していた。結婚してから二十年以上も鎌倉に住んでいるけれど、自分自身が七福神なんて興味を持ったこともなかったので、どの寺に七福神のどの神様がいるなどと言われても、全くピンとこないのだ。変人の親類は扱いにくいと思っても、付き合いをなくすことができないだけに当惑しているのだった。
それから、数ヶ月後、義一は鎌倉・江ノ島七福神の巡回地図を作成しにかかった。憧れの鎌倉・江ノ島七福神をどのような順番で廻るか。それぞれの神社や寺の近辺にはどのような飲食店や土産屋があるのかなどを詳細に調べて、自分で手作りの地図を作りたいのだ。
一般的には北鎌倉駅で降りて、線路沿いに浄智寺まで行き、そこに祀られている布袋尊を参拝して家庭円満を祈願する。
次に鶴岡八幡宮の弁財天に学問・芸術上達並びに財運を願立てする。
それから、宝戒寺に廻り毘沙門天に病魔退散と財宝富貴を発願する。
妙隆寺の寿老人には長寿を立願する。
さらに本覚寺の夷神に商売繁盛と五穀豊穣を誓願する。
長谷寺の大黒天には出世や開運を志願する。
それから足を伸ばして御霊神社の福禄寿に智慧を心願する。
最後に江島神社の弁財天に芸と財運を願掛けする。
というものである。
しかし、変人の義一は江ノ島を出発点と設定して、一般とは逆のコースにしようと決めたのだった。
また、義一は、一般人のようにあれこれと自分の利益を祈願することはしないのを鉄則としている。ただただ、母親を救ってくれた七福神に感謝しているのであるし、所詮自分の人生はこの程度でよいのだという諦めもある。
鎌倉・江ノ島七福神には弁財天が二柱いるから八福神巡りとなり、御利益が期待されるというのは普通の人のことであって、義一には七福神が八福神となろうと関係なかった。ただ単に早い機会に七福神巡りをしたかったのだ。
ところで、筆者は神様の数え方を柱としているが、それは日本古来の神様のみが対象なのだろうか。七福神はインドや中国出身の神様が習合したりしているので、まあ、日本古来の神様とみなして柱と数えてみたのだが。
閑話休題。

この頃、九尾の狐は猫又と八房を大池に蹴飛ばしたのは、きっと毘沙門天に違いないと確信を持つようになった。
九尾の狐の配下になっている猫又も八房もそれなりに年を経て相当の力を持つし、九尾の狐の呪術で死霊を妖怪に仕立てたものだ。
その連中を軽く蹴飛ばすなどという芸当は、人間には絶対出来ないことだし、普通の神様にも軽々とは出来る技ではない。従って、これはきっと格闘技とか武力に長けた神様の仕業だと見込んだのである。
毘沙門天は武力に優れ、吉祥天は彼の妻女であると言われている。いわゆる四天王の一角を占める神将で、四天王としては多聞天と言われる。他の四天王の持国天は東を守護する。増長天は南を、広目天は西を、多聞天は北を守護する。
さて、そのような強力な武力の持ち主をどうすれば破れるのかと、九尾の狐は考え込んだのである。このまま黙っているわけにはいかない。間抜けとはいえども、可愛い配下を二匹も虚仮にされたのである。
九尾の狐は、悪名高い頂獄の古代国家、殷の帝の紂王を誘惑して国を滅亡させる妲己として出現した。それから、古代インド西域の南天竺耶竭陀国の王子である班足太子の妃である華陽夫人としても出現した。さらに日本では殺生石伝説では玉藻前として出現した。
つまり、九尾の狐は絶世の美女へ化身するという話が多いのだ。だから、美女に化けるのは大変得意なのである。
そこで、妻の吉祥天に化けて接近してはどうかと考えたが、妖怪独特の臭いですぐに見破られることは必至だから、すぐにその考えは捨てた。
九本に分かれた尻尾を振りながら、どうすればこの仕返しが出来るかと苛立つ九尾の狐の姿はまさしく妖怪そのものの恐ろしさであった。
「古狸はいないかえ」
「はい、ここにおりますが」
「ご苦労だが、お前はあの義一の知り合いに化けて偶然鎌倉で会ったことにして、鎌倉・江ノ島七福神を案内しておくれ。お前以外では猫又も化けるのがうまいが、やはりお前に頼みます。神社やお寺を参拝するのは嫌だろうが、なに暫く我慢していればよい」
「はい。それは少しも構いませんが、一体何が始まるのでございますか。九尾の狐様」
「それは、私に任せなさい。私に考えがあります。ともかく、私の指示したとおりに動くのですよ」
「はい。承知しました」

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七妖伝 第二回 七福神の懲罰 [小説]



この九尾の狐の悪ふざけを天界から見ていた本物の七福神が、太上老君に相談した結果、九尾の狐を懲らしめてやることになった。
多少の悪戯なら眼を瞑っているのだが、妖怪界の住民である妖怪達が、至高の天上界に住む自分達七福神に化けたというのは、全く以て許し難い。
さて、太上老君は七福神を目の前にして、九尾の狐の仕業の報国を聞いていた。太上老君とは、道教の最高位の神様である。
道教は中国で生まれた民衆の信仰が厚い宗教である。元になるのは「無」である。「無」から妙一、三元、三気、三才と変化する。それから万物が出来たという。三元から天宝、霊宝、神宝の三君が出現する。この三人の神のいる所は、三天とか三清境という。天宝君は玉清境、霊宝君は上清境、神宝君は太清境にいるとされる。
太上老君は、別名を道徳天尊と言い、道教の始祖の老子が神格化されたものである。道教の最高神格である三清の一である。三清は元始天尊の応身の神格とされ、天上界の最高天のひとつの太清境に住んでいるのだ。

「九尾の狐が悪ふざけで、配下の妖怪達を使って義一の夢の中で、妖怪を七福神に化けさせて、枯れ葉の札束を本物のお金と思いこませたか」
「はい。これは由々しき問題です。あの義一という男は、元々欲深い人間ではなかったけれど、信仰心などはありませんでした。ただ、老母が病気になりました時、懸命に老母の快復を祈っておりました。たまたまあの男が九州の肥前国西海七福神に参詣しました時、私らの仲間の誕生会がありまして、我々も機嫌が良かったものですから、老母の快復の証を見せてやりました。それからというものは、我々七福神を尊敬することが甚だしく、死ぬまで日本全国の七福神巡りをしたいそうです」
「そのように崇められている我々七福神に、穢らわしい妖怪ごときが、化けて信仰心の篤い人間に悪戯をするというのは許せません。神の神聖さと尊厳が問われます」
恵比須は七福神の尊厳と誇りが傷つけられたことを心配している。
「速やかに攻め込みましょう」
毘沙門天はどうもせっかちで結論を急ぐのでいけない。
「まあ、落ち着きなさい。九尾の狐は、美女に化けて人間を破滅に追い込むことが多いが、こんなつまらん悪戯をするとはなあ。まあ、毘沙門天さんが言うように攻め込むとはいささか大袈裟だが、少しばかり懲らしめねばならぬ。みなさんはそう思いませんか」
布袋尊が大きなお腹を揺すって笑いながら語る。
「そうですわね。やはりこのままではいけないかと」
弁財天はいつ見ても美しい笑顔でいて、しかもたおやかな感じだ。
太上老君はおだやかな声で結論を述べた。
「ともかく、無用な争いはせんことだ。九尾の狐にはあまり関わりを持たずに、配下の妖怪達をほんの少しだけ懲らしめる程度にしておきなさい。私は今から瞑想に入る」
「はい。分かりました。それでは解散」

それから、三日後の早朝、恵比須、大黒天、毘沙門天が額を寄せ合い相談していた。
戦国最強の武将であった越後の上杉謙信が崇拝し、旗印にも用いた毘沙門天は、サンスクリット語のヴァイシユラヴァナのことである。多聞天ともいう。多聞とは、いっさいを漏らさず聞くことができる大智者という意味だ。そう言えば、楠木正成の幼名は、多聞丸であった。
仏教では毘沙門天は、持国天・増長天・広目天と並ぶ四天王の一角を占める。北方を守護し、財宝・富貴を司り、仏法を守護する神と言う。
毘沙門天は鎧兜に身を固めて、左手には戟・三叉妬・宝塔などを持ち、右手は腰に当てるか宝棒を持っている。足の下に夜叉を踏みつけていて、顔は忿怒の形相である。体躯は威風堂々として、多くの神を従えた姿はまさに威厳の象徴といえる。
七福神の中でただ一柱の日本古来の恵比須は、夷、戎、蛭子とも書く。服は狩衣姿であり、独特の烏帽子を被っている。左脇には大きな鯛を抱えている。右手には釣り竿を持っている。だから、元来は漁業の守り神なのだろうと思われる。一説には、海幸山幸伝説の海幸彦の後身だという説もある。なお、大阪の今宮戎は、今では商売繁盛の神様としてよく知られている。
そして、大黒天の起源はインドのヒンズー教のシヴァ神であるが、なぜ大黒天が今の姿になったのかというと、大国主命の「大国」と大黒が同じ読みのため、二つが合体されたものだからである。つまり、日本人がよく知っている、「因幡の白兎」に登場する大国主命の姿を大黒天として祀るようになったのである。
シヴァ神は名前をマハーカーラという。マハーは大、カーラは黒や時間を意味するので、その意味は死の神というところだ。一方、仏教では釈尊が大黒天を神通力でこの世に現し、貧しい人たちのために富と財を与える福の神であるとされている。一説では戦闘の神であるという説もある。
大黒天が被っている頭巾は、上を見るなとか、謙虚であれということを表し、足の下の二俵の俵は、欲をかくな、ただの二俵で満足せよ、ということを意味するものだ。また、土から宝が生じるということで、豊作・財福の神とされる。
その三柱の尊い神が相談していた。
「寿老人、福禄寿の両ご老人と布袋尊のお三方は、今回の企てはご遠慮いただこう。また、弁財天さんにも温和しくしておいていただこうか」
「そうだのう。働き盛りの私達が活動しようか。それで、具体的にはどのようにしようか。八房と猫又を狙おうか。あいつらは、本来人間に可愛がってもらっていたはずなのに、あんな化け物になりよって」
「そうだのう。鵺、猩猩、雷獣、古狸、蛟は人間にはなじみがないが、犬と猫は人間に近いくせに、あんな妖怪になっているのだから、あいつらを狙おうよ」
「それで、どうするか」
「恵比須さんの抱えている鯛で、猫又を釣ろうか。猫じゃもの、魚は大好きさ」
「ふむ。悪くない。それで、八房はどうする」
「あれは、犬のくせに人間の伏姫に恋したくらいだ。大黒天さんの打ち出の小槌で伏姫の幻でも出してもらうか」
「ああ。そうしようか。伏姫の幻できりきり舞いさせてやろう」
「逃げてきたら、この宝棒で一撃を加えてやろうか」
「いや。毘沙門天さんの一撃は強烈だから、足で軽く蹴飛ばす程度でいいでしょう」

それは雪が深々と降る夜だった。猫又は大きな体を炬燵の中で丸めていた。こんな夜は、炬燵の中で丸くなっているのが一番だ。
なにしろ、妖怪界に住む妖怪のくせに、元来が猫だけあって、寒いのは至って苦手なのである。遠くではざわざわと音がするが、あれは酔狂な八房が仲間の魔犬と、雪の中で戯れているのだろう。
猫又は、うつらうつらしていた。温かい炬燵の中で丸くなって居眠りするのは、猫又にとっては最高の贅沢であり、とっても気持ちがよい。
その時猫又の耳に、魚がぴちぴち跳ねてさかんに水を叩く音がした。まさか、こんなところに魚がいるはずもないのと思ったが、猫の本性の魚好きが心を揺さぶる。
ぴちぴちと魚がはねるのは、本当なのかそれとも錯覚なのかと、じっと耳を澄ますが、やはり音は本物のようだ。
そう言えば、猫又は昨日自宅を改造して池を作ったばかりだ。しかし、面倒だったので魚は入れなかったはずだが、と疑問に思った。
寒くならないように、炬燵の布団を捲り上げてそうっと池の方を覗くと、なんとたくさんの鯛がぴちぴち跳ねているではないか。
しめた。ご馳走だ。しかも、大好きな海の魚である。猫又は、鰺が一番好きだが、海の魚全般が好きだった。川魚は種類による。
自分が作った池なので、海水が入っているはずはないのだか、そんな基本的な疑問さえも忘れて、跳ね回る鯛を獲った。
しかし、大きな鯛なので一匹獲れば十分である。こんな大きな鯛を丸ごと囓ることが出来るなんて、俺はなんと幸せな猫だとすっかり有頂天になった。
猫又は夢中で鯛をむしゃぶり尽くす。ただ、鯛という魚は骨が硬いし鱗も大変だから、慎重に骨を除けなければならない。
骨の方に身が少し残るのがもったいないが、こんなにたくさんの鯛が泳いでいるので、それは気にしないことにした。
猫又が鯛を食べるのに夢中になっているその時、天上から釣り糸がすっと垂れてきたのを猫又は全く気づかない。その細い糸は、恵比須がいつも担いでいる釣り竿から垂れた釣り糸である。
すっと釣り糸が動いたかと思うと、鯛を口に咥えたまま猫又が釣り上げられた。そして、次の瞬間には大きな池にざぶんと投げ込まれた。
そこは薄く氷が張っている池で、大量の冷たい水や雪が猫又を歓迎する。慌てふためいた猫又は、驚愕のためせっかくの獲物を放り出して必死でもがく。
二つに分かれた尻尾のせいで、尻尾が重くてなかなか前進しないが、早くこの冷たい世界を逃げ出さねばという思いから、全力で泳ぎ続けた。
ようやくのことで、陸に這い上がった猫又は何度も何度もくしゃみをした。妖怪界に住む妖怪であっても、生理現象は起きるのである。
一方、この光景を仲間の魔犬と戯れながら見ていた八房は笑い転げた。
「猫又の奴は、たいしたことがないな。年を経た化ける猫なんだから河童くらいに化ければもっと早く脱出できたろうに。咄嗟の時には妖怪も自分の術を発揮できないのかな」
大きな八房が体を揺すり、降り積もる雪を弾き返しながら独り言を呟く。その時であった。突然八房に懐かしい匂いが届いた。
鼻腔を最大限活用してその懐かしい匂いのする方向を探って行くと、なんと伏姫がいるではないか。
飼い主であり、恋人であり、愛しい妻である伏姫に再会できた嬉しさのあまり、八房は伏姫に飛びついた。
と思ったら、それは八房が大嫌いな大きな猿だった。伏姫は、大黒天が打ち出の小槌で打ち出した幻だったのだ。暗闇の中でいきなり、大型犬に飛びつかれた猿はびっくりして、キキイと大声を出して暴れる。
伏姫が厭がっていると勘違いした八房は、再びゆっくりと猿に近づくが、猿は大型の犬が喧嘩をしかけて来たと思い、全力で大型犬を撃退しようとする。伏姫に嫌われたと思った八房は、とても哀しくて遠吠えをした。すると、あちこちで、遠吠えに応える犬たちがいた。
それを聞いた猿たちは、キャッキャッと啼きながら一斉に八房を攻撃した。こうなると、さすがの八房もお手上げだ。一目散に猿の群れから逃げ出した。
八房は逃げ足が速い。なにしろ生きている間は、主人の里見義実に「敵将の首を取ってきたら、伏姫の婿にしてやる」と言われた冗談を真に受けて、敵将の首を獲ってきたほどである。
自慢の足は強くて走るのは好きでもある。猿の姿はたちどころに遠くなり、八房はようやく安心した。
くしゃみをしながら猿に追われて走るのを見ていた猫又は、まるで人間のように八房を莫迦にした表情を浮かべて独り言を呟いた。
「八房の野郎は、人間のおなごには好かれたらしいが、猿には一向に好かれないな。しかし、人間のおなごを嫁にするなんて、とんでもない。しょうがない奴だ」
八房は鼻も利くが、耳もいい。猫又が呟いた一言を聞き逃さなかった。
「なんだと。おい、猫又の野郎。貴様は、今俺様がしょうがないと言ったな。じゃあ、お前に聞くが、お前は年を経ただけの化け猫ではないのか」
「あ、いや。ほら、前いただろう。『原爆が落ちたのはしょうがない』と発言して物議を醸した防衛大臣で、久間さんとかいった人。ああいうのをしょうがない人と言うのだと、言ったんだ」
「お前、なあ。日本のしょうがない防衛大臣と、俺達妖怪がどんな関係があるんだ。言ってみろ」
「いや、その。しょうがない発言はなかったことで、勘弁しろよ。八房よ。俺はさっき水に落ちて寒くてしょうがない。早く炬燵で丸くなりたい」
「まあ、今度は許してやる。妖怪のくせに鼻水垂らしていやがる。本当にしょうがない奴だぜ」
二匹の妖怪が、仲違いをせずにようやくその場を去ろうとした時、大きな八房と猫又をどんと後ろから強く蹴った者があって、そのお陰で八房も猫又も大きな池にどぼんと飛び込んだ。

「大池や妖怪飛び込む水煙」

こういうふざけた俳句か川柳らしいものが二匹の妖怪に聞こえたのだが、その声の持ち主の姿は妖怪達には全く見えなかった。
ようやくの思いで、二匹の妖怪は池から這い上がって、大きなくしゃみをした。


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七妖伝 第一回 七福神崇拝の理由 [小説]



山下義一は、東京都内の某所にあるかなり規模の大きい鉄鋼販売会社に長年勤務していた。十五年ほど前のバブルの時代に、オーナー社長の鶴の一声で、会社の本来の業務からはかけ離れたゴルフ場経営に過剰投資をしたことで、経営不振に陥った。社長の個人的趣味であるゴルフを対象に、不慣れな業界に過剰投資をしたツケが回ってきたのだ。
そのため最終的には債務過剰となり、再起不能の状態となった。社長は個人保証を入れていたため、不動産、動産、現金、株式など全財産を失い、大好きなゴルフは二度とできないようになった。
自分の好きなゴルフのために身を滅ぼしたのだから、本人は本望であろうが、従業員はたまったものではない。
それでも会社の本業は好調だったので、銀行が乗り入れて来て、存続を図ることになった。それで、一時はうまく行ったのだが、最後には都内の同業他社に合併吸収されることになった。
そして、最後には人員整理のために長年勤務した職場を追われたのである。職場を追われた当時は、自分の趣味に金をつぎ込み、ついには大勢の社員を退職にまで追い込むという結果をもたらした社長を恨んだが、今ではもう全て諦めの境地になっている。
その結果、義一はいずれ定年退職してから田舎暮らしを始めるつもりだったけれど、予定よりも十年早く田舎暮らしをすることになった。
幸い、退職当時には農業を営む父母もまだ元気だったので、父母から少しずつ農作業を教えてもらったので、なんとか基本を覚えられた。
今ではかなり広い畑で様々な野菜や果物を育てている。辛いのは、当時はあれほど元気だった両親を相次いで亡くしたことだ。
大切だった父母は亡くしてしまったが、両親が丹精込めて作った畑は残った。毎年新鮮で力のある野菜を生み出してくれる畑は、何よりも大切な宝物である。
しかし、最近ではイノシシ、鹿、猿、熊などの動物が畑を荒らすことが多く、被害もかなり大きいので、義一は相当立腹していた。
二十四時間畑を見回ることも出来ないし、近隣の人と交代で見回るのも、近辺は年寄りばかりで、動物を追い払うのも体力や気力の面からもなかなか難しい。しかし、監視カメラを設置するなどの措置には多大な投資を必要とする。現実には先立つものがなく、いかんともしがたい、というのである。そこで今では電気の通った有刺鉄線を張り巡らして被害を最小限に押さえていた。
自分が丹精を込めて育てた農作物を、イノシシ、鹿、熊、猿などの動物が我が物顔で食い散らすのには我慢がならなかった。
近所の人からは、人柄が良いという評判を取る義一の性質と、自分の育てた野菜や果物を動物に食い散らかされるのに怒る感情とは、別次元の話である。
他人には滅多なことで怒りを見せない山下義一は、本当は動物達にも優しい気持ちがあるのだが、こうも作物への被害が度重なると我慢が出来ない。それでも、動物を捕獲して射殺するという気持ちにはなれなかった。
山下義一は、鳥獣害の専門家が巡回して来た際に、どのような対策をすればよいのかを近隣の人と一緒に教えて貰うことにした。
周囲は、小規模な半農経営の人が多く、鳥獣害に遭いだしたのは最近の事なので、様々な質問が出た。
「野菜畑では収穫を終えた野菜類は株元を切断する。そうすると、完全に枯れあがります。やせたイモやイモヅル、根菜類の葉っぱなど野菜クズも放置してはいけません」
「それではどうするのですか」
「土に埋めるかコンポストで腐熟させてください」
「腐熟というと」
義一が尋ねた。
「発酵させて腐らせるのですよ」
「はあ、発酵させて腐らせればいいのですね」
腐熟も知らないのかと、周囲で失笑が起きたが、義一は気にしなかった。
「はい。そうです。それから、熟して落ちた果実もイノシシのエサになりますよ。それらも腐熟させましょう。それから、果実を収穫する見込みのない果樹は切り倒しましょう」
「休耕地は、どうしたらいいのでしょう」
「草などが生い茂った休耕地や耕作放棄地は、イノシシにとって格好の住みかになりますから、耕作放棄地は集落ぐるみで草刈りを行い、見通しをよくしておくことが重要ですね」
「猿の被害はどうしたら防げますか」
「ネットタイプの電気柵などで防げます。これは、ネットの途中にプラス極とマイナス極が交互に編み込まれていて、プラスとマイナスに同時に触れることで衝撃を受けるようになっています。なお、電気柵は2m以上の高さが必要です」
「値段はあまり高くないのかね」
「あまり高くはないですよ。あ、そうそう。猿が山へ逃げる時に、次々に飛び移ることができる樹木があれば、その樹木は切り倒してください。サルの通り道を遮断しておくことが必要ですよ」
「猿の嫌いな食べ物はあるかね」
「タカノツメ、蒟蒻、ピーマン、生姜などは嫌いですね。イノシシは、タカノツメ、ニンニク、シソ、ゴボウ、生姜などは好きではないようです。そういう動物の嫌いな物を山に近い所で栽培し、集落の近くでは動物が食べそうな物を栽培すると対策が取りやすいですね。まあ、ここいらはみなさんで話し合って、合理的な土地利用と合わせて考えてください」
「よろしくお願いします」

この専門家と農夫達のやり取りを遠くで聞いていた八房は、すぐさま仲間の妖怪に連絡した。八房は鼻が利くのみならず耳も凄くいいので、どんなに遠くいところでも会話を盗聴することが出来るのだ。
八房とは、もちろん『南総里見八犬伝』に登場するあの八房である。あの伏姫とともに死んだ八房は、今では妖怪として蘇り、九尾の狐の元で働いているのだ。
九尾の狐は、意外なことに眷属のミヨが、農夫の山下義一が放し飼いにしている犬によって怪我を負わされたことにはあまり立腹しなかった。結局は、ミヨの修行不足のせいだと分かっているからだ。
ただ、狐のミヨが化け損なったのを見破った山下義一という男を、すこしばかりからかってみようという気持ちになったので、義一が何を考えているのか、どのような行動をしているのかを探るように妖怪達に指示したのである。
八房は、専門家と別れた義一がどのような行動をするのか遠くから見守っていた。すると、義一はとくに変わった様子もなく、そのままとぼとぼと自宅に歩いて帰ったのだった。
家の中では、猫又が屋根裏から義一の様子をうかがうことになっている。義一の飼い犬は、八房や猫又のような妖怪には何の反応も示さない。これは、犬が鈍感なのではなく、強い怯えと恐怖のために、犬の本能が機能しないのである。
猫又が見たのは、義一の家の中に無数に並べられた七福神である。宝船に乗っているもの、絵馬になっているもの、印刷してあるもの、焼き物、古着で作ったもの、紙細工や粘土細工などが、所狭しと並べてあるのが猫又に見えた。
家の中に入るや否や、義一が七福神を拝みだしたのが、猫又にも見えた。
義一は、人柄はよいけれど一風変わった人間だし、リストラされてからは定期的収入もさしてあるわけでもないので、とうの昔に女房には逃げられていた。今では年老いた父母もすでに亡く、侘びしい一人暮らしである。
義一は、本来は信仰心の薄い男であったが、十年ほど前に母親が病に倒れて入院してからというものは、病気がよくなる御利益があると聞くと、全国どこの神社仏閣を問わず参拝した。老いた母を救いたい一心であった。
母が病に倒れたのと同じ頃に人員整理でリストラされたので、父母の面倒を見るつもりもあって田舎暮らしを始めることにしたのである。
妻の芳恵は義一の母との相性が悪く、夫の両親の介護をする気などさらさらなかった。また、田舎暮らしも嫌だと思っていた。そして、義一が田舎へ移住する事を相談した時に、芳恵は離婚を申し出た。
芳恵が十二年ほど前から趣味で始めたドールハウスがそれなりの評価をえてぼつぼつ売れ始めたので、一人で生計を立てたいと言い出したのだ。話し合いは平行線を辿ったが、最終的には一方的に離婚宣言をされたのだった。
義一は、欲深い人間ではなかったが少しばかり世間の人は違った価値観の持ち主なので、変人扱いされていた。義一には、俗人でかつ欲深い女房の言い分がどうしても理解できなかったけれど、最終的には離婚に同意したのだった。
義一にとっては畑仕事に精を出している間は、別れた身勝手な妻の事も忘れられるので、夜が明けると同時に起き出して、日が沈むと家に戻るという単調な日々を過ごしていたのである。
義一の以前の会社で仲の良かった友達のひとりが、大人員整理の前に、家業の跡を継ぐということで退職し、今は佐賀市に住んでいた。ちょうどその頃、唐津市に住む親類の危篤の知らせがあった。それで、唐津市に行くついでということで、何年かぶりにその友人に電話を入れて、佐賀市を訪問することになった。
佐賀市の友人を訪問した際に、友人に連れられて肥前国西海七福神巡りをした。これは、佐賀県と長崎県にまたがる壮大な七福神巡りなのだが、その直後に母親が奇跡的に病気から快復したのだった。
それからはというものは、まるで七福神に取り憑かれたように、毎年二、三回はどこか遠方の七福神巡りをしていた。つい最近も長野の善光寺七福神にバスツアーで出かけたばかりだ。義一の七福神巡りは、何事かを祈願するというのではなく、むしろ感謝の意味で七福神を参拝すのである。また変人の義一には、七福神が日本古来の神様ではなく、神仏習合などの変容を経て、インドの神や中国の神や僧、日本古来の神の混成チームになっているというのが好みに合っていたのだ。
義一の母が病気から快復してちょうど二年後に、母は枯れ木が倒れるように老衰のため亡くなった。母の症状が良くなったという以外には特にこれといった七福神の御利益が実現したという記憶は義一にはなかったが、自分が健康で生きている間は、お礼として毎年地方の七福神巡りをしようというのが彼の計画だった。
今では、東京に住んでいる頃には全く興味の無かった寺社巡りに夢中になり、たまに東京に出て行けば東京で七福神巡りをするという具合だ。特に谷中七福神の修性院で見た「ひぐらしの布袋」の大きさには驚かされた。
なんでも、何代目だかははっきりしないが、徳川将軍がこの寺で休憩した時に、布袋尊の前から腰を上げずに、日が暮れたという言い伝えがあるそうで、義一にはそれが面白かった。
そして、日が暮れる頃、谷中の「夕焼けだんだん」で見た都会の夕景も、義一が日頃見慣れている夕景とは違って、印象的だった。
東京に住んでいた時には、会社と社宅の間を行き来するだけで、信仰心もなかった。ましてや、都会の夕焼けなど興味もなかったし、会社で働いている時間が長かったので、見る機会などありもしなかった。
そんな義一が御利益を期待しないで、一生のうちに必ず回ろうと思っている七福神のひとつに、鎌倉・江ノ島七福神があった。
浄智寺の布袋尊、宝戒寺の毘沙門天、妙隆寺の寿老人、本覚寺の恵比須、御霊神社の福禄寿、長谷寺の大黒天、鶴岡八幡宮の弁財天、そしてもうひとつ江ノ島神社の弁財天に参拝したいと思っていた。
鰥夫の義一は、風呂を沸かしてさっぱりした気分で独酌しながら大好きな刺身と湯豆腐をつつくのが何よりの楽しみだ。独酌しながらまだ実現出来ていない七福神巡りの計画をあれこれと考える。そして、独り言で「早く鎌倉・江ノ島七福神に行きたいものだ」と何度も呟いた。
屋根裏からこの様子を見ていた猫又は、早速九尾の狐にこのことを報告した。何しろ妖怪なので、昼夜を問わず、場所も問わず活躍出来るのが強みであるが、時折は猫の本性が顔を出す時もある。

「なんと。あの男は七福神を崇拝しているのか。ふむ。鎌倉・江ノ島七福神に参拝したいと言ったと」
「はい。あの男はなかなか酔狂です。今時、七福神だなぞとは」
「なあに、人間というのは、根っからの欲張りだから、健康、福、寿、富、名誉、何もかも全て欲しいのだよ。我々妖怪は、死ぬこともないし病気もしないから、特に欲しいものはない。時々、人間を驚かしてうまく行けばそれでよい。ましてやお金などは、妖怪には使いようがないわよね。私が中国に住んでいた時には、まだ出来ていなかったが、後年できた言葉に『阿堵物』という言葉があるわよ。これは、普の王衍という男が言い出したと聞くが、お金のことを忌んで使ったというの。まあ、我々妖怪は好きな時に、好きな物を入手できるから、お金などには心を奪われないしね。妖怪には全くもって人間の欲望は理解できないわね。いずれにしても、あの男が崇拝している七福神に化けるかなにかであの男を騙してやらねばなるまい。猫又や、みんなをお呼び」
九尾の狐の呼びかけで鵺、猩猩、猫又、雷獣、蛟、八房、古狸と七匹の妖怪が揃ったのは、その五分後だった。特に雷獣は風雨に乗って来るので、九尾の狐の呼びかけの直後にすぐに雨が降り出した。
「よいかえ。これからお前達は七福神に化けるのじゃ。と言っても、古狸と猫又以外には化ける能力がないから、私がお前達をあの男の夢の中で化けさせてやろう。古狸は一番難しい弁財天に化けるのじゃ。他の者は、私が適宜化けさせてやろう」

熟睡中の義一の夢の中で、古狸は弁財天、鵺は寿老人、猩猩は福禄寿、蛟は毘沙門天、猫又は布袋尊、雷獣は恵比須、八房は大黒天に化けた。この夢を操る術は九尾の狐の得意技のひとつでもある。人間の男が夢精するのも、九尾の狐が操る夢の操作術だという説もあるとかないとか。
この夢操作術は、正確に言えば対象となる人間の意識の中に九尾の狐が入り込み、対象となった人の意識を裏から操るのである。
義一は夢の中で七福神に会えたものだからもう有頂天である。夢の中で寿老人に長寿の秘密を聞いたり、弁財天の奏でる琵琶の妙なる音楽に酔いしれたり、大黒天の持つ打ち出の小槌に触らせて貰ったりした。
「義一よ。お前は信仰心が厚いので、きっと裏庭から宝物が出るだろう。裏庭の柿の木の下を掘りなさい。きっと、素晴らしい宝物が出るだろう。どんな宝物かは言わないが」
福々しい表情で大黒天は義一にそう告げた。単純でお人好しの義一は大喜びでその嘘を信じたのだった。
次の日、妖怪の中では一番賢い八房が九尾の狐によって化けた大黒天が告げた事を真に受けて、義一は裏庭の柿の木の下を掘った。そして、義一は大人の拳の二倍ほどもある金塊を見つけて大喜びした。実際には土塊なのだが、古狸が術を施して義一には金塊に見えるだけである。しかし、義一は土塊をすっかり本物だと思いこんでいて、大事に金庫の中にしまったのだった。
他の人間が見ればただの土塊なのだが、義一にはこれが金塊に見えるのだし、義一は金塊を手に入れたことなど他人にはおくびにも出さない。
だから、近所の人は、義一が妙に嬉しそうにしているのを見て、何か良いことでもあったかと聞くのだが、義一は黙っているだけだった。
ただし、読者には誤解のないように弁護しておくが、義一は金塊を入手できたことが嬉しかったというのではなく、夢の中で崇拝する七福神からのお告げのとおりに、珍奇この上ない財宝を授かったということが嬉しかったのである。
欲は欲でも、金銭欲というよりも七福神信仰の証を得たいという欲望の実現が、義一には大切だったのだ。

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七妖伝 序 [小説]



それは、暑い夏が終わりを告げ、涼風が肌に心地よく感じられる、よく晴れ渡った秋の日のことだった。
一面に広がる水田には、黄金色の稲穂がたわわに稔っていた。重たそうに頭を垂れる稲穂は、本当に美しい日本の秋を象徴していた。柿の実が熟すにはまだ早いようで、爽やかな風が水田を渡っているだけの光景だった。
悪戯が大好きな狐のミヨは、よく日焼けした人の良さそうな農夫が、とぼとぼと歩いてくるのを見て、悪戯をしかけようと思った。
空中でくるりとトンボ返りを打つと、この近所の田舎臭い娘とは違って、とても都会的で知的な感じがする娘に化けた。
「あのう、済みません。私、道に迷ったのです。お隣のF市まで行きたいのだけれど、この辺ではバス停も見あたらないし、どうしようかと思って。ちょうど、おじさんが通りかかられたので、どのように行くのか教えて欲しいのですかけれど」
「F市までは遠いよ。儂の車でF市の駅前まで送ってやろう。儂の家は、ほら、あそこに藁葺きの大きな家が見えるじゃろう。あそこじゃ。あそこまで付いてきなさい」
「はい。ありがとうございます」
一見人の良さそうな農夫という感じのする男は、しかしただの単純なお人好しではなかったのである。人柄は良いが、大変用心深い人として近所では知られていたのだが、畜生のミヨにはそこまでは見抜けなかった。
その農夫には、娘のスカートのお尻の部分が異様に大きいのに気づいて、これは狐か狸が化けたに違いないと思った。ははあ、こんなに大きいお尻があるはずはない、きっと狐か狸かは知らないが、こいつの尻尾が隠せないからだと、農夫は思った。
彼は、この付近で以前狐に虚仮にされたことがあるので、見知らぬ人のみならず、顔見知りであっても、わざとその人の身内の人の名前を忘れたふりをして、名前を確認するなどとても用心深くなっている。
最近では、見知らぬ人を見かけると、まず狸か狐が化けている可能性があるかもしれない、と疑うのが常という状態になった。
近所のよく知った人間にはなつくが、余所者や動物が化けた人間などには警戒心の強い大型犬を、家に放し飼いにするようになったのが三月ほど前のことだ。
そうとは知らないミヨは、のこのこと男の後から付いて行った。ミヨが農夫の家に着いて庭先に足を踏み入れたとたん、放し飼いにされている大型犬に吠えたてられて、尻尾に噛み付かれて大怪我をした。その途端元の狐の姿に戻ったのだが、そのままなりふり構わず逃げ出した。

それから三日後のことである。
風雨の夜に七匹の妖怪が集まっていた。鵺、猫又、八房、蛟、古狸、雷獣が揃って並んだ古い神社の境内で、恰幅のよい大きな猩猩が喚き立てていた。猩猩の赭ら顔は、まるで人のような面貌であった。
中国ではその声は小児のごとしと言われているが、この猩猩は鐘の割れるような大声だ。なんと、中国では想像上の怪物とされる猩猩がこの日本には実在していたのだ。もっとも、ここにいる妖怪たちは、全て死霊が妖怪になったものである。
この妖怪の集団は、九尾の狐が死霊を呼び出して術を加えて妖怪に仕立てたものだ。九尾の狐が、わざわざ死霊を冥界から蘇生させて妖怪に仕立てたのは、日本で玉藻の前として不名誉な扱いを受けてからだいぶ時が経ったので、そろそろ退屈になってきたのである。それで、何か怪しからぬことをしようと企んだものだ。
しかし、死霊を妖怪に仕立てようとしている九尾の狐に、全く予想しなかったことが起きた。
九尾の狐が渾身の力を振り絞って、妖怪に仕立てる最後の術を施している時に、一陣の突風が起きたのである。運悪くその時、九尾の狐はたまたま自分の術の参考のために、西洋の堕天使や悪魔の本を開いていたが、七つの大罪に関係する悪魔達のページが風で捲られた。
もちろん、九尾の狐は自分の術を施すのに懸命で、そんな事には気が付かなかった。風で捲られたページから細い光が出て、並んでいる死霊達に一筋ずつに別れて入ったのだ。その光の筋は一筋ごとに色が違っていて、全てを合わせると虹色になるのだった。不幸なことに、最後まで九尾の狐はそのことに気が付かなかった。

「なんとな。狐族のミヨが大型犬に尻尾を噛まれて大けがをしたとな。それで、快復するにはどれくらいの時間がかかりそうだ」
「二週間は絶対安静にしないといけないそうだ」
「ふむ。二週間もかかるとは。それにしてもずいぶん長いな」
「最新鋭の医療機器が揃った動物病院だから、心配はいらない」
「それにしても、ミヨも全く愚かなものよな。あの農夫が義一だとは、ミヨは知らなかったのか。以前、若い狸のユージがあいつを虚仮にして以来、なんだかんだと動物を目の敵にしているぞ」
「あいつはずいぶんと用心深い奴だし、多少変人ではあるが、近所の人にそれなりの人望もある。奴が近隣の人間を説得して、動物が田畑を荒らすとかなんとか言って、強力な罠を仕掛けたりしている。救いなのは、やたらと無用に動物を殺しはしないことか。しかし、かなり強烈な脅しはしているようだ。そんなことをミヨは、知らなかったのか」
「そう言えば、最近でも猿が畑を荒らしているところを義一に見つかって、エアガンで撃たれたらしい。あのプラスチックの弾は当たるとかなり痛いのだ。実弾を使うと人間に当たったりすると危険だから、さすがに実弾は使っていないが」
「ミヨはあのとおり、人間に化けるのが上手だから、人間をだますのは簡単だと高を括っていたのだろう。上手の手から水が漏れるとはこのことだな」
「いずれにせよ、義一には一度はきついお仕置きをしてやらねばならぬ。そして、義一のみならず、狡くて欲望ばかりが燃え盛っている賢い人間どもに対して」
「そうだ。そうだとも。お仕置きが必要だ。この自然界は、人間だけのものではない。動物も妖怪もみんな自然界を楽しむ権利がある」
蛟がみんなを見回してから、ぽつりと言った。
「どうれ、九尾の狐様に報告しなければ。なんと言っても、自分の眷属が人間に痛い目に遭わされたのだもの。相当お怒りだろう」
「たしかにそうだ。九尾の狐様の怒りは凄いぞ」
「九尾の狐様の怒りは凄いぞ」
「全くだ」
「本当だ」


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喪愛記 結び [小説]

結び

私のこの手記を誰かが私の死体と共に見つけてくれだろうか。私は、断食を続けていて、今はもう自力でたつことさえかなわない。次を書く力も弱まった。
さて、私は、この手記の冒頭でこう書いた。
「今は廃墟となったこの小さな町に来る人は、みんな人生の最後の時を過ごすためにだけ集まって来た。自分の命が燃え尽きる時まで、必死で生きるという目的のためにここに来る人はかつていなかった」
まさしく、この小さな町は生きるための町ではなかったのだ。マコが死んだ時には私も死にたいと心底願った。比翼の翼は折れ、連理の枝は裂けたのである。これ以上生きて行く気力は、私にはなくなったのだ。その後も、あのときマコと一緒に死んでいれば、という気持ちがわき上がるのを抑えられなかった。
一方では、人にはそれぞれ寿命というものがあるから、自分でその寿命を縮めるようなことをしてはいけないという忍海和尚の教えに背くことはできなかった。そして、ずっと私が心中の葛藤に苦しんでいたのも事実である。
さらには、この町で生まれて死んでいくただ一人の人間としての記録係の役目が終わっていない、ということで私はいままでただ耐えて来たのだ。
この町で起きた出来事を私の生涯の仕事にせよと命じたのは忍海和尚だったから、和尚の意図に反することは出来なかった。しかし、今はもうこの町には誰もいないのだ。
私の家も、一昨日とうとう強制的に壊された。町までもが廃墟となった私には何も残っていない。もはや残すべき何物もない以上、私は絶食して命を絶とうと思った。
最期を迎えて以前読んだ短歌が頭をよぎった。
「冬の皺よせゐる波よ今少し生きて己の無惨を見むか」(※注「中城ふみ子」『乳房喪失』)
私には、「今少し生きて己の無惨を」見るという選択肢も残されていたのだが、私はこう思ったのだ。
一人の子供、一人の女さえ幸せにする事が出来なかった私に残されたものは何もない。
もはや、生涯の仕事であった記録係としての役目さえも私には残されていない。全てが終わったのだ。私の生誕の地が終焉の地であることはとても象徴的であると。
そして、私の頭の中には、忍海和尚に教えて貰った次の感慨深い俳句が浮かんだ。
「みんな夢雪割草が咲いたのね」(※注三橋鷹女『向日葵』より)
もう私には、雪解けを待って咲く雪割草の力も残っていない。みんな、みんな、夢の出来事だったと思う。ヒネモアとツタネカイの伝説も、ユージとエミリーの哀しい恋も、美少女から母となった優しいマコの姿も、可愛かった私たちの愛の結晶であるサチオも、みんな夢の中だった。今はみんなが待つ、遠い国に向かうばかりだ。
私の前に広がる海には今日も明日もこれから先もずっと、太陽は昇り、沈む。永遠にその繰り返しだ。私の命は、その永遠の前で儚い夢として絶えつつあるのだ。
私はかつて、マコにこう話したことがあった。
「この世の私たちは、本当の私たちではなくて、太陽の光が月の光の根源であるように、私たちの根源がどこか遠いところ、それこそ、あの世にあるのかもしれないね」と。
月の光としての私は、もうすぐ命が尽きるだろう。けれども、月の光の根源である太陽の光は絶えることがない。私は今、その太陽の光に帰って行くのだと思っている。
                                      
追記
この手記は、ケンジらしき男性の遺体とともに見つかった。全ての施設を取り壊して、後片付けをしてい現場の作業員が、偶然遺体を見つけたのである。そこは、かつてお寺があった場所で、いくつかある墓の中でも、マコとサチオという文字のみが刻まれた質素な墓の前だったらしい。
さらに、本当はこの手記はこの後数行を残して終わっているのだが、そこには絵のようなもの、数本の線、記号のようなものが入り乱れていて、何が書いてあるのか全く判読できなかった。従って、その部分は割愛せざるを得なかったので、ご理解とご了承を頂きたい。
終わり








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喪愛記 八 別れの時 [小説]



私は、医療には全く関知しなかったし、まだ自分が若くて終末医療などと言われてもなかなか興味が湧かなかった。それでも、時折は医師達の話を聞く機会があった。そのおかげだろう。知らず知らずの間に、わずかだが医学の知識を手に入れることもできた。もっとも、私の場合には、その仕入れた知識で人を救えるものではなかった。だが、色々と示唆に富んだ知識を仕入れるのは苦痛ではなかった。
私が親しくしていた富山という医師から教えて貰ったのは、トータルペインという概念だった。トータルペインとは、つまり患者全的痛みという意味である。なんでも患者の痛みは肉体的苦痛にとどまらないのだそうだ。それで、世界保健機構でも、痛みを四つのカテゴリーに分けて考えているということだった。
ひとつは、身体的苦痛だ。私などは医学の素人だからかもしれないが、この身体的苦痛というのが、患者の痛みの全てだと、ずっと思っていた。これは病気による痛みの他に、日常的動作支障というのも含まれるらしいと知った。
二つ目は、精神的苦痛である。病気であることの不安、なぜ自分は悪いことをしたわけでもないのにこんな病気になるのだという怒り、あるいはうつ状態などを含む。
三つ目は、社会的苦痛というのがある。仕事上の問題や経済的あるいは家庭内の問題などが含まれる。
四つ目には、スピリチュアルペインというのがあると聞いた。それは、自分は掬われるのかとか、神はあるのかという問いかけや、死に対する恐怖、あるいは自分の人生は価値があったのかというような深淵で、根源的な生に対する問題意識がある、というのだ。
この話を富山医師に教えて貰った時には、医学というものは誠に奥が深いものだと、私は単純に感心した。
私がこんな事に鈍感だったのは、この話を聞いた当時は、マコに恋をしてはいたが、まだ結婚もしていない、天涯孤独の独身者だったからだろうと思う。特に社会的苦痛というのは、私にとっては実感として理解しにくいものだった。
ターミナルケアとか終末医療とか呼ばれる療法を受ける病人の痛みを四つのカテゴリーに分けるという考えで、私にとっても大変考えさせられる事例があった。
それは、人生を何の苦労もなくスイスイと渡って来たあるエリートの話だ。この人は、この町でケアを受けた訳ではないのだが、富山医師がこんな例もあるとして教えてくれた事例だ。
東大を優秀な成績で卒業して、一流企業に勤めて、取締役になった年の暮れに、喉頭ガンが見つかった人がいた。ガンが発見された時はすでに手遅れで、余命いくばくもなかったらしい。
富山医師の知り合いの医師とこの当事者が交わした会話を再現してみると、ほぼこんな風になるだろうと、富山医師は語った。
「そんな馬鹿な。この私がガンですか」
「残念ながらすでに転移しています。余命は三ヶ月です。あなたの人生でやり残した事があれば、それを成し遂げてください」
「先生。私は東大卒業ブランドのエリートです。ゴマスリ、おべんちゃら、そして必ず自分に回ってくる出番を待ちました。そしてようやく今の地位を手に入れたのですよ。私が、自分の手で掴んで築いた地位を失うわけには行かないのです。贅沢はせず、他人からケチと言われようと貯蓄しました。定年退職したらゴルフをたっぷり楽しもうと思っていました。妻と温泉巡りや憧れの欧州旅行をしようとも思っていました。それらを目の前にして、余命が三ヶ月しかないなんて。誤診ですよ。先生。誤診だよ。先生。もう一度、精密検査してくれ」
全てを順調にこなしてきた人生で、突然の不条理に打ちのめされた哀れなエリート。そんな馬鹿なと、何度も繰り返すしかない男の哀れな一生。いつかは自分にも死が訪れる日が来るなどとは考えたこともない男の姿が目に浮かぶようだった。
あまりにも順調な人生を歩むと、人はいつか死ぬものだという単純極まりないことさえ忘れ果てて、いつまでもこの順調な人生がつづくものだと思いこむ。
そこに一度に不治の病や死という者が襲いかかるために、反動の重圧が大きいということなのであろうか。心理学や医学の専門家ではない私には、そのあたりの事情はよく分からない。
しかしながらそんな話を聞くと、やはり人は生きてきたようにしか死ねないというのが、本当なのだと私には思えた。
そうすると、人生の最初から天涯孤独で挫折感に満ちあふれた私の最期は、それと比較するとどんなものなのだろうか。
元来、私には挫折感があるだけに、死をすんなりと自然に受け止められるのだろうか。それとも狼狽に振り回されて憐れみを乞いながら惨めに死ぬのだろうか。
私は忍海和尚に教育してもらったため、人が死ぬのは枯れ葉がおちるようなものだという感覚が身についていた。だから、東大出のエリートとは違う反応を示すのではないかと、なんとなくは感じているが、それはその時にならねば分からない。

さてここで、話をマコと私の事に戻そう。
マコと海岸で話をして、親なし子犬ではない事を確認してからなお二年の月日が過ぎて、ようやく私はマコと結婚した。私は諦めずに少しずつ時間をかけて、マコの固い心の鎧を溶かした。 
いささかマコよりも長く世間に生きているだけに、マコと辛抱強く向かい合いながら彼女の心の鎧を徐々に溶かすように努めた。
マコの心の鎧が解けた頃、私はマコにはっきりと結婚したい旨を申し込んだ。私と結婚するということは、この特殊な町で私と終生を共にするということだ。マコは私の申し込みに頷いてくれた。マコはリスカを繰り返した女でいいのかと聞き直したが、私にはマコの過去なんかどうでもよかった。現在のマコを愛していたのだ。
マコは「希望の町」で私以外にもう一人、この特殊な町で生まれ育った人間を育てる決意をしてくれた。そして、あのヒネモアとツタネカイのように周囲の人に祝福されて幸せな結婚だったと言うことも、みんなにお伝えしなければならない。
やがて、結婚してから二年目には、可愛い男の子を一人授かった。あの頃は、私もマコも有頂天だった。天涯孤独だった人間が父親になったのだ。リスカを何度か経験した少女が、辛かった過去を克服して、母親になったのだ。私たちにも幸せになる権利はあったし、その権利を施行させて貰ったのである。子供は「サチオ」と名付けた。
サチオの三歳の誕生日が過ぎた、ある美しい秋のひと日のことだ
「サチオも、もう三歳の誕生日を迎えたね。マコ。ありがとう。君のおかげで、天涯孤独だった私も、こんな幸せな家族を持てた」
「私こそ。ケンジのおかげよ。私の冷たい心を解かしてくれたからよ。男性恐怖症と孤独地獄から生還したのはケンジのおかげよ」
こんな会話を交わしてから二週間と経たないうちに、私とマコの地獄が始まった。
その瞬間が来るまでは天国や極楽と言われる場所で生活しているのだと思うほどの幸せを噛みしめていた私たちにとって、地獄というものがこれほど間近にあるとは思いも寄らなかったのだ。
私たちは家族で例の水辺の景色を見るために浜辺に来ていた。海に沈む夕陽はいつに変わらず雄大で美しく、海にはもう一つの夕陽が煌めいていた。波の変化につれて、姿を変える夕陽をマコが見ていた一瞬の隙に、波打ち際で遊んでいたサチオがずんずんと海に入っていったのだ。
私はその時、用事があって浜辺にある階段をホスピスの方に歩いていた。二人ともその事に気付かなかったのは、親としてどんな責任も負わねばならない。
この浜辺はある程度の所まで行くとその先は急に深くなっているので、私たちはいつも注意して遊んでいたのだが、この時は一瞬注意が散漫になっていたとしか言いようがない。
マコの叫びで、私は慌てて階段を下りてサチオを追いかけたが、その時突然襲ってきた大きな波に攫われてサチオは私の目の前から姿を消した。私は呆然と海を見つめ、マコは半狂乱の状態で可愛い息子の名前を呼び続けた。
私は浜辺に繋船してあるボートに飛び乗りサチオがいるはずのあたりを探し回った。そして、何度も体力の限り海中に潜った。
何度も繰り返して海中を探したがサチオは見つからなかった。やがて、ホスピスで働く人達も、マコの大きな叫び声に驚いて何事かと浜辺に集まった。
ついには、絶望の町からも青年達が捜索隊を結成して海中をくまなく捜してくれたが、サチオの遺体は見つからなかった。
三日目になって、私は青年達にお礼を言って、捜索隊を解散してもらった。青年達の行為はありがたかったが、青年達の貴重な、生きている時間を私達の個人的なことで無駄に消費させる訳にはいかなかったからだ。
そして、私達の可愛い一人息子のサチオの四十九日も済ませた日の夜に、今度はマコが進入禁止になっている台地から深い海に身投げ自殺を遂げた。
母親として息子を危険から守ってやれなかったことで、自責の念に駆られていたのだ。彼女の長い手記が残されているが、私には辛すぎて自宅の庭で、泣きながらその手記を焼き捨てた。
さらに、不幸は追い打ちをかけた。私が再び天涯孤独の身になってから、五年目に今度は「希望の町」で大火災が発生したのである。
この時、ホスピスに入院中の患者さん八十七名が全員死亡し、医療関係者もみんな高齢のため逃げ遅れ、ほとんどの人が生き残れなかった。
ホスピス内のスプリンクラーが作動不良で初期消化が遅れたため、あっという間に火の手が回ったのだった。
その影響でこの町は封鎖されることになった。高齢者ばかりでは、火事や地震の時に対処するにも、対処が遅れて惨事を起こす場合があると認識されたためだった。
 封鎖が決まると全ての施設が取り壊されていった。私は、この町に残った唯一の住民となった。そして、この家で無駄な抵抗を続けた。
それから、絶望の町も、欲望の町も立て続けに閉鎖された。サーフィンか大好きだったショーイチ、ケンゾー、マサキ、ユウタとミユキのカップルがまず去った。
その後で生涯独身宣言をしてはばからなかったチーコとその仲良しの友人マチ、そして裁縫が上手だったサツキ、みんな次々にこの島を次々に出て行った。
おかまの「ゼンちゃん」がこの島を去ったのは、もう何年も前のことだが、なぜか「ゼンちゃん」が一瞬浮かべるあの切なそうな表情が、みんなの顔に被さって見えた。
欲望の町の住民は、次々にこの島を出て行った。もうみんな短期間で交代していくので、私には誰が誰だかは知らなかったし、興味もなかった。
絶望の町で最後にこの島を出て行ったのは、海が好きなヨシオだった。よく日焼けした顔に笑顔を浮かべて、私に別れの挨拶に来たのは、もう五日ほど前のことだ。
そして、絶望の町の共同建物をはじめ、欲望の町の料理店や風俗関係者、全てのお店が取り壊された。
そして、今日の朝になっていよいよ明後日には、この家も強制撤去されることになっていると、告げられた。

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喪愛記 七 寄り添う喜び [小説]

七 寄り添う喜び

そんなふたつの例があってから、二週間ほど過ぎた頃、久しく顔を見せなかったマコがひょっこり顔を見せた。エミリーが私に気を遣って、マコだけが事務所に顔を出せるようにそしてくれたのだと、私には分かった。
以前とは違って、快活にざっくばらんに話しかけてきた。
「こんにちは。ケンジ。今日もチーズケーキある?」
「おや、マコじゃないか。久しぶりだね。元気そうで何よりだね。あるよ。それに、たまたま特別に取り寄せたフォションの紅茶があるよ。オレンジペコだけど。あれ、今日は金曜じゃないのにどうして?」
「今日は特にお休みを頂いたの。夜まで自由なの」
「そうか。それじゃ、後で浜辺から夕陽を見ようよ。とても綺麗だよ」
私とマコは浜辺に座って、海に沈む太陽を見ていた。空はパープル、オレンジ、深紅、青と多様な色に染まって、一言で美しいなどとすまされるものではなかった。
「伝説のツタネカイはロトルア湖を渡って、ヒネモアに会いに行ったけれど、現実のマコならこの海を渡って、誰に会いに行く?」
「ケンジ、かしら?」
ぽつりと、マコが言った言葉に私は驚喜した。驚喜しながらも、言葉が見つからないまま、ただ黙ってこの美少女の固い鎧を被った心をどのようにすれば解かすことが出来るのかと、思い悩んだまま静かに手を伸べた。マコの両目からは、静かに涙が溢れ出ていた。やがて意を決したように、マコは私の手の上に自分の手を重ねた。
それにしても、人の手がこんなに温かいものだとは、私も初めて知ったようなものだ。私もずいぶん長い間孤独だったのだと、改めて思い直した。
その時、太陽はもう完全に沈み残照もなく、波のざわめきがいつまでも二人の耳に届いた。
二人の距離は縮まりそうで、なかなか縮まらなかった。私は、自分でこの距離を縮めてはならないと、考えていたのだ。私はもう成人男子だが、マコはまだ十八の少女なのだという私の自制心が、一気に距離を縮めるのを抑制するように働くのは当然のことだった。
「マコ。もう月がはっきりと見えるね」
「綺麗な月ね」
「俺たちが月を見る時は、俺たちの目の力で見ているのではない。月の光の力で物を見ている事を忘れるなと、忍海和尚が言ったけれど、本当にそうだね」
「でも、その月の光さえも、月が発しているのではないわ。月は太陽の光を反射しているだけ」
「宇宙は不思議だね。俺たちがこの世で生きるということも、この月の光みたいなものかもしれないね」
「それはどういう意味?」
「この世の私たちは、月の光のようなものだという考えさ。本当の私たちは、太陽の光が月の光の根源であるように、私たちの根源がどこか遠い所にあるのかもしれないね」
「ふうん。なんだか、難しくて私には分からないわ」
「まあ、いいさ。ところでマコは海が好きかい?俺は、いつも仕事が終わると、こうして海を見ているのが好きだ。この波の音だけしかない世界がとても心地よい」
「私が住んでいるあの『絶望の町』にも浜辺はあるけれど、全てが計算されて作られているから、実用的で無駄というのがないわね。計算され尽くした行為というのは、実はつまらないことだと、私は最近思うの。私も母も対立をしてきたけれど、計算しなかったからこそ、最後には対立が解けて和解できたと思うようになったわ」
「へえ。マコはすごく大人なんだね。俺よりもずっと強いよ。まして、そんな風に考えられるなんて、すっかり大人の目線だな」
私は、心底からこの女性を一生大切にしようと思った。そして、彼女の肩を強く抱きしめた。一瞬マコが身体をぐっと固くしたのが分かったが、後は力を抜いて素直にしていた。
「でも、私の手首のリスカの痕は気にならないの、ケンジは」
「そんなのは気にならないさ。それこそ、マコが言う計算しなかった功績だよ」
私がそう言うとマコはぽつりと言った。
「嬉しいわ」

私たちは、その時から親なしの子犬のように孤独に震える存在ではなくなり、たがいの温もりで心の底までが和むような存在になったのだと確信した。
私たち人間は言うでもなく動物なのだから、動物固有の制約や限界から免れることなんてできはしない。私たちは、それこそDNAの大河の中に浮かんでは消えてゆく泡のような存在に過ぎないのだろう。
約六十兆の細胞からなる人体は、五十回の細胞分裂を繰り返すと、医師から聞いたことがある。ただ、医学の知識のない私にとっては、難しすぎてよく分からない話だった。その時、分裂しない細胞もあるらしいと初めて知ったのだが。
そんな大河の泡に過ぎない命というものが、どうしてこんなにも哀しいのだろう。愛しいのだろう。美しいのだろう。その命の営みは、私の大好きな海に映る沈み行く夕陽と同じで繰り返されるだけだ。
雨の日には、この島の浜辺から太陽は見えない。恐らくは、それが人間の死というものと同じ原理なのではないか。太陽の姿は雨が降れば見えないのだが、実際には太陽がなくなったわけではない。
人の死もそれと同様で、命の営みはDNAの連綿とした流れの中にあるのだが、死という雨に煙って生という太陽が見えなくなってしまうようなものではないのか。
私は宗教家でもないし、医療に従事するものでもないので、本当の所はよく分からないのだが、忍海和尚が教えてくれた様々なことや海辺の太陽から、そんな声が聞こえるのだ。

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喪愛記 六 愛される資格 [小説]



思春期の少年みたいに、マコへの思いに恋い焦がれていた私は、とうとう自分でも抑制できない感情に襲われることがあった。
 浜辺に座り込んで沈んでいく太陽と海に映る太陽とを見ていると、人間の小ささや哀しさが私の中にいつまでも、それこそ残照のように燻り続けるのだった。
マオリ族の最も偉大な恋の物語と言われる、あのヒネモアとツタネカイを分け隔てるのはロトルア湖の滔々たる湖水だったが、マコと私を分け隔てるのは、
「私には人を愛する資格もないし、愛される資格もない」
というマコの哀しい呟きだった。
マコのその小さな呟きは、私には泳いで渡ることが出来ない蒼海のように他私の前に立ちふさがっていた。
そして、蒼海と夕陽を眺めている私の背中の後ろにあるホスピスの中では、生と死が連日のように腑分けされていくのだった。
私がマコという美少女にどんなに恋い焦がれても、この蒼海のよう広大な距離があるのだろうか。私の気持ちは、マコに届かないのだろうかとも思ったものだ。
そして、マコが二度も自分は愛される資格がないと言った、その愛される資格とは何だろうか。人を愛する資格が、私にだってあるのだろうか。人間が人間を愛してはいけない、ということはないだろう。恋愛の問題は、自分が愛する人が自分を愛してくれるのか、ということであり、愛する資格とは全く別問題なのだが。
私はあの人を愛しているから、あの人も自分を愛して欲しいと願うのは、当然のようでありながら、本当は自分の身勝手な要求に過ぎない。相手にもどんな人を好きになるのか選択する権利はあるのだから。
そういうわけで、私は本当に二十五歳にもなっても、まだ十八歳のマコには何も自分の気持ちを言えなかった。

それから二ヶ月ほど経ったある日のことである。たまたまエミリーが病気でマコしか来ない日があったので、私は思いきって聞いてみた。例のマコの「私には愛する資格も、愛される資格もない」という発言の真意である。
「私は、男の人が怖いの。男の人が近寄ってくるだけで、恐怖感を覚える」
「えっ、俺も怖いかい?」
「ケンジは、怖くないわ。こんなの初めてよ。私の父は、私が七歳の年に、胃ガンで亡くなったの。それからしばらくは、母と私と弟の三人で仲良く暮らしていたの。ある日、あの男が私たちの生活に割り込んできた」
「あの男というのは」
「母の愛人よ。母も父を亡くして淋しかったんでしょう。最近になってようやく母のそんな淋しい気持ちが分かりかけてきたわ。当時は、母のことを穢らわしいとしか思わなかった。私が、中学三年になった時だったの」
「中学三年というと、まだ子供じゃないか」
「そうよ。その日母は職場の仕事が長引いて残業していた。弟は、部活の帰りに友たちの家に勉強に行っていたわ。だから、家の中は、私とあの男だけだったの。あの男は、シャワーを浴びて浴室から出てきて、洋服に着替えた私を、穢らわしい目で見ていたのよ。それを無視して私は、自分の荷物を手に持って玄関に向かったの。ちょうど、仲良しの三人が集まって友たちの家で数学の勉強をすることになっていたのよ」
「それで・・・・・・」
「すると、突然あの男が・・・・・・。煙草の脂臭いをさせて、私をいきなり抱きしめたの。びっくりしたわ。義理の父ではなかったけれど。仮にも私の母親の愛人という立場の人間なのよ。それが、それが、まだ子供の私に・・・」
「それで、どうしたんだい?」
「私は手にした荷物で、思いっきりあの男の頭をぶんなぐったの。そしたらあの男が下駄箱に頭をぶつけて、頭から血を流して倒れた。そして、私はそのまま家出したのよ」
「ふうん。大変だったね。マコは、でもなかなか芯が強いんだ」
「あんないやらしい男を愛する母なんて、穢らわしくて顔も見たくないと思った。ただ、弟の事はとても気になったけど。可愛い弟だったのよ。それから男の人を見ると、怖いのよ。だから、自分で自動的に心を閉ざしたわ」
「ふうん。それから・・・・・・」
「家出して、渋谷をうろついていた私を見かねて拾ってくれたのは、キリスト教の神父さんだった。それで、孤児の施設に入って。色々と教育も受けたの」
「それは大変だったね」
「でも、だんだんと何もかもがいやになって、私なんかいなくてもいいんだと思いこんで、必要ないんだと思いこんで、三回リスカしたの。でも、最後には目が覚めたわ」
「えっ、三回もかい。キリスト教は、そんなにすばらしいのかな」
「特定の宗教なんか、今もいやよ。決してキリスト教のおかげとか言うのではないわ。神父様の人格よ。家出してから、二年経たないうちに、母の危篤の知らせが私に届いたわ。病院に行くと、母が淋しそうに泣いていた。母はベッドに横たわって、別人のように痩せ細っていた。そして、母は私に泣いて謝ったのよ。マコ、許してって。その時、ようやく母を許せたし、私もこの世界にいてもいいんだと思うようになったわ。それからよ。私が変わったのは」
「弟さんは、それで、どうしたの」
「幸いにまだ中学生になったばかりだったので、子供のいない親類の家に養子に行くことになったの」
「マコは、それから一人で自活できたのかい」
「私は幼い頃からペットが好きだったから、ペットショップでずっとアルバイトしていたわ。だからペットを世話していると、心が落ち着くし私はペットから必要とされていると思えるの。今では私はペットたちのお母さんよ。そんなわけで、今はペットたちのために生きようと思っている。ごめんなさいね。ケンジさん。私は、今でも男の人が怖いのよ。だから、なかなか心が開けないの」
「ふうん。マコは強い心を持っているんだ。マコの話を聞いて安心したよ」
「どうして?」
「俺は天涯孤独の身で、ずっと一人だったけれど、淋しいとは思わなかった。でも、ここのお寺の和尚さんに育ててもらったし、教育も受けた。でも、マコのような強い心は持たなかったな。いや、マコは芯が強いね。安心だよ。これからも、ペットのお母さんとして生きればいいんじゃないかな」
「ありがとう。ケンジさん」
「で、その弟さんとは連絡は取れないのかい」
「孝義はバイクに乗っていたわ。凄く雨足が強い夜だった。スピードの出し過ぎで交通事故に遭ったの。雨のせいでスリップしたのよ。私、その事をずっと後になって知ったのよ。あの子は、まだ十六歳だったのよ。無免許でバイクを運転して、そのあげくに死んじゃったの。もう孝義には連絡の取りようがないの」
 マコは目に涙を浮かべていた。
「そうか。悪いことを聞いた。ごめん」

そんな事があってから一月半くらいは、マコは私の事務所に顔を見せなかった。たぶん孤独な人生を送ってきたマコは、なんとなく私が彼女に寄せる好意が鬱陶しかったのだろう。
後でエミリーにもその事を指摘されたが、私は、たぶん彼女は自分自身の気持ちがしっくり行かなかったのではないかと、私は思った。私はマコの明るい笑顔を見られないことがただ無性に淋しかった。

マコが、私の事務所に顔を出さなくなってから暫くして、とても印象深い事が起きた。誰が言ったのかは知らないが、「人は生きてきたようにしか死ねない」という言葉があるというが、それは本当のことなのだと、改めて認識させられる事が起きた。
一人目の例は、横田さんという患者さんのことだ。私は、ホスピスの職員ではないから、ホスピスの中で起きる出来事について直接見聞きはしないが、看護師さんも医者も全ての人が知り合いだから、様々な出来事を私は知りえた。
横田さんは、自分一人で小さな会社を興して、今では従業員が七十名ほどいる会社の会長である。家業はかなり前に息子に譲った。横田さんの口癖は、「自分は社員のお手本となるべく立派に生きてきた。だから、死ぬときも苦しさのあまり見苦しい振る舞いをしたりせず、立派な最期を遂げねばならない」
というものだった。
そのため、弱音を吐かずに寝たきりになっても、ただ我慢しているだけだったという。そんな我慢しかしない父親の姿を見かねた家族がこう言ったらしい。
「おやじの辛さは分かるけれど、見ている俺たちだって辛い。もういいじゃないか」
「何がいいんだ」
「痛いのなら痛いといって、痛み止めのモルヒネでも麻薬でもなんでも打ってもらおうよ。今は、痛いのを押さえるのを優先しないと」
それでも、頑迷に、しかし、弱々しく首を横に振るだけだったという。そして、とうとう我慢するだけ我慢して、最後に激痛のため錯乱状態になったので、それを抑えるため家族がモルヒネを投与してもらったという。
この話を聞いて私が思ったのは、こういうことだ。痛みを我慢してもしなくても、どのみち死ぬのである。そうであれば、痛みが少しでもない方がよいに決まっているではないか。痛みが少ない状態で最後の時をみんなに看取られた方が、人間らしく死ねるのではないかということだった。
自分を立派に見せようとするあまり、痛みを我慢しているのであれば、本末転倒ではないかと、私は考えた。私たちは、何も他人に賞賛されるためにこの世に生まれてきたわけではなかろうし、死ぬときは孤独に一人で死んでいくのだから。
私たち人間は、それぞれらに何らかの宿題や使命を抱えてこの世に生まれてきたのだろうと思う。その使命を終えてあの世に旅立とうとする時まで、他人の賞賛を期待した振る舞いなどしなくてもよいのではないかと、私は思うのだが。現実の私には、こうして死にかけている私には、今は感謝の意を表す相手さえ現世にはいないのだ。
もうひとつは、自分自身の死を自然体で受け止めている石田さんというおばあさんだ。石田さんは戦争孤児として苦しい中を生き抜いて、夫となる人と巡り会い、息子三人を育てた。
三人の息子は立派に成長し、長男を中心にして従業員が九十人もいる会社を作り、現在に至った。石田さんの全ての費用はこの兄弟が出した。
ただ、男達は仕事の都合上ずっとこの町に滞在するわけにも行かず、もっぱら三人の家族の嫁達とその子供達の中で、未就学の子供を中心に滞在していた。男達は交代で行き来していた。私は、石田さんの孫達と一緒に浜辺で遊んだことがあるので、その子供達を通じてそれらの情報を知っていた。
石田さんの口癖は、
「人はいつか死ぬ。私は、たくさんの仲間が死んでいくのを見た。ある人は飢えのため。ある人は病気。ある人は絶望して自殺した」
というものだった。
だから、石田さんは死については、自然現象と同じレベルで受け止めていたようで、枯れ葉が落ちるように死んだという話だった。
石田さんは、身体が痛いときには痛いと言い、甘える時には背中をさすってくれと言ったが、自分だけを大切にしろ、という要求はしなかったという。つまり、何事も自然体で接していたのだろう。石田さんの死に顔は、本当に苦しみのない穏やかな表情だったという。
私が、忍海和尚から教えて貰った古歌にこんなのがあった。
「年ごとに咲くや吉野の桜花木を割りて見よ花の在処を」
これは、たしか一休という坊主が詠んだ歌だと思う。たとえ桜の木を割ってみても、そこには桜は見つからない。しかし、毎年時期が来れば、桜は綺麗に咲いて、人々の目を楽しませてくれる。
土、水、日光、寒さ、そして累積温度、そのような条件が揃えば、何もしなくとも桜は咲く。面白いのは、寒さを経験しないと桜は花を咲かせないということで、これは人間も同じだと、私は思ったことがあった。この歌を教えて貰ったのは、もう十年近く以前の話だが。
人間もまたそんな自然現象と同じで、咲いては散ってゆく。ただ、それだけのことだ。そんな単純なことを真正面から受け止めていたからこそ、石田さんは枯れ葉が落ちるように自然に亡くなったのだろうという感想を述べた片山医師の意見に、私は賛同する。
そう言えば、忍海和尚からもうひとつとても素敵な言葉を教えて貰ったのを、今思い出した。それは、日本人が一番最も好きな人の一人である、良寛さんの言葉だ。
死ぬときは死ぬのが一番よい。それが災いをのがれる最良の方法だ、という意味の言葉だ。
たしか、地震が起きた時に知人に宛てて書いた手紙の一部だとか、和尚は言っていたが、もう十年近く前のことなので正確には覚えていない。
私はそういうふたつの例から、「人は生きてきたようにしか死なない」というこの言葉は、本当に言い得て妙だと思った

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喪愛記 五 芽生え [小説]



私は、この年になるまで女性に恋をしたことがなかった。その理由はたぶん、母の胸に抱かれることのなかった赤ちゃんの記憶が、私のコンプレックスとしていつも去来していたからだろう。私は、女性はとても神聖なものだと思っていたような気がする。あるいは、私を産んですぐに亡くなった母に申し訳ないような気持ちから、恋をするということにブレーキをかけてきたのだろう。だから、その結果として良い巡り合わせがなかった。当時の私の感想は、そんな風だった。
しかし運目の神様は、そんな私を憐れみ、決して見放さずに大きな贈り物をくださった。それは、私がもうすぐ二十五歳になる年のある夏の日のことだった。
ある金曜日にエミリーの代わりにマコが、この町にペットと共にやってきたことはすでに述べた。その時はまだエミリーもユージも絶望の町にいたのだ。
「やあ、こんにちは。君は、マコさんだよね。俺、ケンジ。よろしく」
「こんにちは。エミリーは腹痛で寝ているから、私が代理で来ました。あなたが有名なケンジさんですか。私の事はマコと呼んでください。この町に来るのは二回目です。まだ、『絶望の島』に移住して新しいものだから、なにも分からなくて。ごめんなさい」
「帰りに事務所に寄りなよ。チーズケーキをご馳走するから」
「あら、素敵。チーズケーキは大好物よ。帰りに寄らせてもらうわ」
マコは、とても人なつっこかった。彼女が絶望の島に移住するようになった理由を、私は知ろうと思わなかった。マコのあの明るい笑顔は私を惹きつけてやまなかった。私にとっては、この世にもうひとつの太陽が出現したくらいの驚きだった。
あの心の底から笑っているような明るい笑顔の底にある地獄とは、一体何だろうかと思った。まさしく生き地獄としか言いようがない世界を見てきた人たちの一人だからこそ、明るさがあるのだろうか。

私は、毎日午後三時になるとマイクロバスの運転手になって、この町に別れを告げる遺体や家族を港まで送るのが普段の業務であった。
希望の町に戻ると、マイクロバスの調子を見て異常がなければ車庫に格納した。異常があれば、絶望の町から誰かしら整備のできる人間に来て貰うようにしていた。マイクロバスを車庫に格納することは、私の一日の仕事が終了したことを意味するのだった。
業務から開放された私は、毎日のようにホスピスの裏手にある階段を踏みしめて砂浜に行ったものだ。
私は水辺の夕景が好きだった。水平線の彼方に沈んでゆく太陽が映し出されて、まるで太陽がふたつあるかのように見えるのだ。ゆらゆらと陽炎に包まれて沈み行く太陽と、暗くなるにつれて輪郭が消滅する水に映った太陽と、どっちが本物の太陽なのかと思うような、幻想的なひと時が私の大好きな時間だった。

その日も幻想的な時間を過ごしたいと考えながら、私はお気に入りのヘイリーというニュージーランド出身の声の美しい女性歌手が歌う「ポカレカレアナ」という歌を聴いていた。
時計の針はすでに三時を回っていて、同じ曲を繰り返し聴いていた。五回目の繰り返しの途中で、マコが事務所にやってきた。
「こんにちは。ケンジさん。あら。この歌なら知っているわ。えーっと、題名は何だっけ」
「題名は、『ポカレカレアナ』だよ。チーズケーキがあるぜ。食べなよ。紅茶がいいか。それともコーヒー。いや、日本茶がいいかい」
「紅茶がいいわ」
私が紅茶とケーキをマコに出してあげると、マコはケーキを素直に食べた。まだ、子供みたいな素直な態度が、かえって私には眩しかった。
「この歌は、ニュージーランドの原住民のマオリ族の歌らしいけれど」
「歌の意味は、どんな内容なの。私、歌は聴いたことがあるけれど、意味は知らないの。それにしても、とても綺麗な澄んだ声ね。でも、英語ではないわね」
「マオリ語だろう。意味はざっとこんな意味だよ。ロトルア湖の水は、かき回されたので波立っている。この湖を超えて、少女よ、私のもとへ戻っておくれ。波は今穏やかになったから。少女よ、私のもとへ戻っておくれ。さもないと死んでしまいそうだから。そんなにもあなたを思っているのだから。あなたに手紙を書き、指輪を送った。私がこんなにも悩んでいるのだと、みんなにわかるように。少女よ、私のもとへ戻っておくれ。さもないと、死んでしまいそうだ。それほどあなたを思っているのだから」
「ふうん。ずいぶんロマンチックな歌ね。でも、ケンジさんはよく知っているわね」
「まあ、大好きな歌だからね。少し調べたのさ。この歌の元になっているマオリ族のもっとも偉大な恋の伝説がある。現在のニュージーランドの北島にロトルア湖というのがある。そこの湖のほとりに大酋長の娘で、気高く美しいヒネモアという人がいた。湖にあるモコイア島に住むツタネカイという青年がいた。二人は恋に落ちるけれど、部族が違うので周囲はその恋を認めない。しかし、二人の恋の深さにうたれて、やがてみんなは二人の恋を認める。まあ、おおざっぱに言えば、そんな伝説さ」
「部族が違うために恋が許されなかったの。なんだか、ロミオとジュリエットみたいな、とても切ない話ね」
「でも、最後はハッピーエンドだよ。あれ、もうこんな時間だ。急がなくては。マコもペットを速くバスに乗せて」

それからしばらくは平穏な日々が続いた。最初にマコが私の事務所に遊びに来たときから三週間経った時のことだった。エミリーとマコが、一緒に私の事務所に遊びに来た時の事を鮮やかに思い出す。
その日は、爽やかな秋風が吹き抜けて行く穏やかな日だった。花壇にはコスモスや菊、曼珠沙華、ケイトウなどが咲いていた。
この時間帯は、私の定期的な仕事がなくて、いつも音楽を聴いてほっこりする時間だ。
「やあ。マコ。久しぶりだね。今日もチーズケーキあるよ」
「あら、ケンジ兄貴。なによ、私には挨拶がないの。いつも、私のことを『エミー』って呼んでくれたのに。それに、私はチーズケーキなんて出して貰ったことないわよ。あ、分かったぞ。こら、ケンジ兄貴、マコに惚れたな」
「何、何を言うんだ。マ、マコが笑うぞ。い、いつも、チョコレートをあげているじゃないか」
「ま、いいか。ケンジ兄貴を許してやろう。そのかわり、今日は私にもチーズケーキを頂戴ね。チョコレートは、いつものとおりに冷蔵庫ね。それもぜーんぶ、貰いっと。でも、よかった。ケンジ兄貴がマコに恋をしたのなら、妹分の私も安心できるというものだ」
エミリーがおどけた調子で渡しを冷やかした。その時の私の狼狽ぶりは言うまでもないだろう。
私は、思春期の男の子が初恋の相手にときめきを覚えるように、マコのことが眩しく見えた。だがなぜだか、マコの顔からはいつもの明るい表情が消えていた。
「マコ。また聴くかい。あの、ヘイリーの歌」
私はわざと、大きな声でマコ聞いた。 「私なんか、誰にも好きになってもらう資格がないわ。それに人を愛する資格もないわ」
 マコがぽつりと淋しそうに呟いたのを、私は聞き逃さなかった。
「あら。そんなことないわよ。マコはとても明るいし可愛いわよ。ねえ、ケンジ兄貴だってこんな美少女は見たことがないでしょう」
「ああ。ここには老人と病人しかいないから。エミーもマコもてとも可愛い」
「私のことなんか、付け足さなくていいの。私はケンジ兄貴の妹。私にはユージという彼氏がいるし。でも、ケンジ兄貴とマコなら案外お似合いかもね」
私は、エミリーにずばりと核心を突くことを言われて、なんと言っていいのか分からなかったので、ただ黙っていた。マコはとても気まずそうにしていた。この気まずい沈黙を破るために、私はヘイリーの歌をかけた。
「エミーは知っているかな。この歌の伝説のこと」
「知らないわ」
その時、マコが口を開いて、ヒネモアとツタネカイの伝説を解説したのだ。 「へえ。マコはそんな事を知っているの」
「ケンジさんに教えて貰ったの」
「ふうん。ケンジ兄貴は、意外にロマンチックなんだね。ケンジ兄貴とマコは、ヒネモアとツタネカイになるのね。違う部族の悲劇とその悲劇を乗り越える恋人たちか。ロマンチックね」
「私、人を愛する資格も、人に愛される資格もないわ」
 私は、マコが再び呟いたこの言葉が、あまりにも切なく響くので、聞こえないふりをして、二人に叫んだ。
「さあ、時間だよ。エミー、マコ。君たちの町に送ろう」


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喪愛記 四 ゲイ妓 [小説]



私が二十四歳の誕生を迎えて間もないある日のことだが、夜遅くなって突然エミリーが私に電話をしてきたことがあった。最初はエミリーが泣いてばかりいて、何を話したいのかよく理解出来なかった。
「エミリー。どうしたんだ。ユージと喧嘩でもしたのか。とにかく、落ち着いて話してくれないか」
「ユージがなんだか胸が痛いと言って、とても苦しがっているのよ。ケンジ兄貴。救急車を呼んで」
「分かった。ユージは胸が痛いと言っているんだね。すぐに救急車を出すから待っていてくれ」
私は慌ててホスピスに連絡してすぐに救急車を手配してもらった。今日の当直は、ショーイチとユウタ、ケンゾーの三人だったが、ユウタが電話に出た。
「ユウタ。すぐにみんなを起こしてくれ。ユージの様子がおかしいので、救急車でここに連れてきて欲しいんだ。今すぐに門を開けるから」
「分かったよ。ケンジ」
高齢者ばかりのこの町では、機敏な対応ができない場合がある。それで、絶望の町から交代で、ホスピスの中にある宿直室で宿直してもらっていた。当然私が宿直する場合もあった。
若い人でも病気になることはある。そんな時には、このまずホスピスで治療可能かどうかを診断してもらう。それから、必要に応じて本土の専門家に送り込むのだった。
その時ユージの病気は、このホスピス対処できる範囲を超えていることだけは明確だったが、詳細は専門医に診断して貰わないと分からないということだった。
「エミリー。ここでは診察や治療に限界がある。一度、専門の医師に診断してもらう必要がある。明日、緊急用のボートで本土に運ぼう。幸い、本土に渡るくらいなら別状はないだろうと、高山先生が言っていた」
「そうなの。それより他に方法はないのね。私、ユージに付き添って本土に行くわ」
エミリーは頼りなさそうに、立ち尽くし、大きな瞳から流れる涙を隠そうとはしなかった。私は、黙ってエミリーの肩を抱き、それから手を握りしめてやった。
そして、私が操縦するボートでエミリーはユージと一緒に本土に付き添って帰った。それから、ユージとエミリーが再び絶望の町に姿を現す事はなかった。
私はエミリーから、緊急の場合の連絡先を聞いてはいたが、ユージと一緒に苦しんでいるエミリーの事を考えると、エミリーの口からどんな報せがあるのかとても怖くて、何も言えないままだった。
彼らがこの島から出ていってから、一年半ほど経過した秋の終わりのことだった。エミリーから私宛に、短い手紙が届いた。エミリーの大切な人は亡くなったが、大切な人と大事な時間を分け合えたのは、とても幸せだったという手紙だった。私は、妹のようなエミリーとその大切な人のために何一つできなかった自分の無力さに呆然としていた。哀しいとか、悔しいとかいうのではなかった。ただ、呆然とするしかなかった。ユージの魂が、この町に遊びに来たという感覚をふと持ったこともあった。あの時も、銀杏の黄葉が風に揺れていたし、今も同じ季節だから、私の記憶にあの日の事が蘇った。
そして、ここにその時の手紙があるので、この手記に挿んでおこう。どうか、この手記を読んだ人は、封筒にある住所の羽田エミリーにこの手記を渡して欲しい。そして、このエミリーから貰った哀しい手紙も、エミリーに返してもらいたい。
マコもサチオも亡くした今、私にとって本当に妹みたいな役割を果たしてくれた「エミー」だけが、私の肉親とも言えるのだから。
島を離れる際に、エミリーが私に別れを告げに来た。あの時の切なそうな大きな瞳の美しさを、私は今でも思い出すことが出来る。私は、あの時、ただ「エミー」とユージのために泣いていた。
あの時の私に、泣くこと以外に何が出来ただろうか。そして、私の傍らには泣き腫らした目を押さえる私の心の妹がいた。さらに、その傍らには嗚咽を堪えて両目から溢れる涙を拭おうともせず佇むマコの姿があった。
私は、終末医療特区という入院患者が死を待つだけの希望の町で、唯一人の新生児として生まれたため、いくつかの特権を貰っていた。
その特権のひとつが、月に二度は欲望の町に行くことが出来るというものだった。特権を与えられてから今までを平均すると、私は月に一回は欲望の町に出掛けていたことになる。
この欲望の町には様々な欲求を満たすことができる施設があるが、いずれの施設も午前十二時には全店が閉まるので、十二時半になると町の中は真っ暗になった。私はどの店に出入りするのも自由だった。希望の町でも、欲望の町でも、一切の費用を負担する必要もなかった。
小さなカードを提示すれば、希望の町の公費で経費として処理してもらえた。だからといって、無制限に自堕落に遊びほうけたわけではない。特殊なカードを使ったのは、今までに両手で数えることができる程度だった。
私は、希望の町のみんなに支えて貰ったからこそ今まで生きられた。また、今後もみんなに支えて貰おうと思うのであれば、特権を振り回すような行動をするのは決して自分のためにはならないと自制していたからだ。
私だって、肉体的欠陥があるわけでもないし、肉体上の欲望は、適当に処理してきた。それはさしおいて、結婚の対象となるような女性に対してはそれこそ興味津々だった。しかし、二十代半ば近くになるまで良い巡り合わせがなく、これといって気になる対象の相手は絶望の町にはいなかった。
欲望の町で働く女性は、私には向いていなかった。なぜなら、私は死ぬまでこの町を出られないし、そんな生活に耐えられる女性がいるとは思えなかった。もちろん、いつか良い相手に巡り会い、巫山の夢を結びたいものだとは思っていたのだ。
ところで、私は「ゲイ妓」という奇妙な名前のゲイバーに一度だけ入店したことがあった。私は、ゲイとかニューハーフ、あるいはおかま、と呼ばれる連中に興味があるのではなかった。ただ、マサキから彼女たちのショーがユニークで面白いと聞いていたので、実際にショーを見てみたかったに過ぎない。
実際、ショーの中の彼女たちの仕草はなまめかしくもあったし、奇妙なアンバランスを感じさせることもあって、とてもおかしかった。
奇妙なアンバランスと私が感じたのは、女になりたい男たちが演じる仕草、あるいは男であることの居心地の悪さ、男である自分自身との違和感、不条理の滑稽さなどだったのではないかと思った。それらが束になって、辛辣かつ大胆に、人間の愚妹さや偽善に満ちているこの世界をからかっているように思われた。
ひとりだけ場違いな薹の立ったゼンちゃんという体格の良いおかまがいた。偶然のことだったが、ゼンちゃんが私の横についた。別に私が望んだわけではない。このゼンちゃんは、次々に面白い冗談を飛ばして私を笑わせた。私は、普段は大人しい質なのだが、このときは大声を上げて笑いこけた。
時折だが、ゼンちゃんのユーモラスな会話が途切れて、真面目な表情をする時があった。そんな時には、ゼンちゃんは生きていることに倦んだような表情をすることがあった。
人は、それぞれ老若男女を問わず何らかの悩みや苦しみを抱えている。他人が他人の事に口を出すようなことではなかったので、私は何も気づかないふりをしていた。ただ、悩みを聞いて欲しいと言われれば、聞いただろう。 だが、ゼンちゃんだってプロである。初めての客に対して、悩み事など打ち明けるはずもなかった。


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喪愛記 三 欲望の町 [小説]


希望の町は、人生の最後を過ごすための町だから、当然ホスピスはあったが、火葬場はなかった。私の母の遺体も、忍海和尚の場合も本土の火葬場で焼いてもらい、遺骨のみを島まで運んで来たのだ。ただ、霊柩車や救急車は毎日どこかを走り回っていた。
ここでは、どんな物であっても欲しいものは大概なんでも手にはいった。ただ、自動車は手に入らなかった。狭い島の交通のことを考えて、厳しい制限があった。この島の北端の唯一出入り可能な港から希望の町までは、保冷も可能なコンテナ付きの大型トラックが一台走っていた。そのトラックと私が運転するマイクロバス、救急車、二台ある消防車、そしてホスピスにあるニ台の乗用車が町にある自動車の全てだったし、それ以外の車は持ち込み禁止だった。
大型トラックの出入りをチェックするのは私の役目だったが、その他は全部自動的に認識されるので、その関連の仕事では、私の出る幕はなかった。
さて、入院患者の家族はそれなりに長い時間をここで過ごすので、この希望の町の中のあらゆるところ、例えばホスピスの庭やプール、寺、植物が生い茂る台地、美しい公園などどこにでも行けた。移動手段は電動カートだけだった。そして、希望するのであれば、欲望の町にさえ行くことが出来た。
希望の町が設立された当初は、単にホスピスがあるだけで、死期の迫った人が主に入院していたが、徐々にそれは変わってきて、今のスタイルになったのだ。だから、当初は絶望の町もなかった。あるのは港と希望の町のホスピスのみという全く質素なものだったらしい。
しかし、設立後数年の経験から、死に行く人には最後の望みがあるということが分かったので、その要望を取り入れる工夫に知恵を絞った。そして、絶望の町が設立されたのである。欲望の町の設立はもっと後年のことだ。
絶望の町が存在するのも希望の町での需要があるからだ。希望の町もまた、絶望の町なしでは存続出来なかったのだ。もはや需要と供給という経済学の用語の域を超越して、二つの町は表裏一体あるいは双頭の鷲のようなものになっていた。それでも、二つの町は決して一つにはならず、それぞれ相互に協力はするが、それ以上のことには立ち入らないという態度を貫いていた。
人生最後の望みを叶えるための需要もあったし、その需要に対する供給もあったので、ここでその事について少し触れよう。
絶望の町からの供給が、どれほど希望の町の終末を迎えるばかりの人に役に立っているか、ひとつの例を挙げたい。これは、愛するペットに先立たれて哀しい思いをしてきた老婆の話だ。
それは夏の終わりの頃だった。残暑が厳しい日で、私はかき氷を立て続けに三杯食べた記憶がある。


吉田さんは、その時吉田さんの体温を測っていた高橋看護師さんにこう訴えた。
「私はもうだめです」
落ち着た態度で高橋看護師は答えた。
「吉田さん。どこか痛いところがありますか」
「あと一週間は保たないでしょう。お願いがあります。私はチャコと会いたいのですよ」
「チャコさんというのは?」
吉田さんの足をさすっていた実の娘である金子香織さんに訊ねた。
「チャコは、母が飼っていた三毛猫です。しかし、もうとっくに死にました。夫と結婚したあと、母とは一緒に住めませんでしたから、ずっと離れて暮らしていました。私たちの結婚後十年くらいしてから、経済的に余裕がでてきて千葉の郊外に住まいを新築しました。それから、一緒に住むようにと何度話しても、母は首を横に振りました。自宅で母は、チャコと暮らしていました。母は、チャコが死んだ後には、もう二度とペットを飼いませんでした」
吉田さんは、再び高橋看護師に話しかける。
「今、この娘はこうして私と最後の時を共有してくれています。ありがたいことです。私が逝く前に、チャコともう一度会って、抱きしめたい。チャコにありがとうと言いたいのです」
「チャコちゃんではなくて、他の猫ちゃんでもいいですか」
「はい。チャコがもうとっくに死んだことは分かっています。死んだものは生き返りません。どんな猫でもいいです。その猫をチャコと思って、ありがとうと言ってから死にたい」
「吉田さん。分かりましたよ。明日にでも猫ちゃんを早速連れてきますから、待っていてください」
「ありがとうございます」
高橋さんはナースステーションに戻るとすぐに絶望の町に三毛猫がいるかどうか調べるように、私に依頼した。すぐに、三毛猫がいることがわかった。
翌日、絶望の町から髪の長いほっそりとした少女が、一匹の三毛猫を抱いてやってきた。私は絶望の町の住民はほとんど知っているが、この美少女を見るのは、その時が初めてだった。
ほっそりとした美少女は、食料を運ぶ大型トラックに乗せて貰ってここまで来たのだ。その少女は、マコと名乗ったと、高橋さんからあとで聞いた。
美少女は、やがて三毛猫を抱いたまま、ホスピスの一室に吸い込まれていった。マサキが、以前今度新しいとても可愛い女の子が絶望の町にやって来たというのは、たぶんこのマコのことを指しているに違いないと思った。
普段は毎週金曜日になると、エミリーという可愛い女の子が、犬や猫などのペットを連れて絶望の町からやって来た。ペットと戯れることで気持ちが癒されると患者、医師、看護師などの希望があったので、定期的に巡回することになっていた。エミリーと私は仲良しだが、兄と妹みたいな気持ちである。実際私は、エミリーにはユージという恋人がいるのを知っている。私はユージとも顔なじみであった。
しかし、その日は水曜日でありエミリーは来られないというので、マコと名乗る女の子が三毛猫を抱いてきたのだった。
エミリーの得意な作業は美容師だった。絶望の町では、金曜日から日曜日までは仕事がなかった。他の人も同様に週に三日間の休日があった。ただ、三日の休日のうちの一日は、ボランティアで何か他人のための活動をしなければならなかった。それで、オミリーは金曜日に希望の町にペットを連れて来て、ホスピスの中を巡回していた。
可愛い三毛猫はたちまち患者や看護師たちの人気者になったが、この三毛猫にはまだ仕事がある。
「吉田さん。チャコちゃんが来ましたよ。とっても可愛い三毛猫ですよ」
「まあ、チャコ。来てくれたのね。ありがとう」
吉田さんという老婆は、がりがりに痩せ細った腕を伸ばして、猫を抱きかかえようとしたが、もはや力が入らないようだった。
高橋看護師が、ベッドの近くにある小さな机を引き寄せて、猫をその上に置こうとした。マコは、ハンカチを取り出して机の末に置き、その上に猫を乗せると猫はじっとおとなしくした。
金子さんは万感に耐えないようにぽつりと言った。
「チャコによく似ているわ」
「チャコ、ありがとう。お前のおかげで、どれだけ頑張ってこられたか。おじいさんが死んだ後の私の人生は、お前に支えられたよ。もうじき、おばあちゃんは逝くからね。しばらくそこにいておくれ」
そう言うと、吉田さんはじっと三毛猫を見つめていた。暫くすると、両の目から涙が流れ出たのが見えた。娘の金子さんも涙ぐんでいた。
チャコと呼ばれた三毛猫は、動物特有の感覚から、そこにいる人の死が近いのを感じ取ってからか、哀しげに鳴いた。チャコは、吉田さんのベッドに移り、吉田さんの涙で濡れた頬を舐めた。すぐに、吉田さんは安らかに入眠した。
その三日後に娘の金子さんに何か一言告げると、再び帰らぬ人となったと私は聞いている。
それにしても、人というものは、自らの死を目前にして錯乱もせずに、ペットにまで感謝の意を表したいなどと思うものなのかと、私は吉田さんの心映えにいたく感心した。
吉田さんが、眠りについてマコがチャコを抱き上げようとした時、マコの洋服の袖から三つか四つのカッターナイフで付けられたような傷跡が手首にあるのが見えたと、後日高橋さんは私に語った。

絶望の町は希望の町の需要を満たすために、後から造成された町であることは前にも説明した。欲望の町とは何かについては、まだ語っていなかったので、ここであらためて説明しよう。
それは、絶望の町で働き始めた人たちや、患者に同行してきた家族の需要を満たすために港の近くに造成された歓楽街である。
最初は希望の町で入院患者が家族と共に最後の食事をするための料理店やレストランのみが造られた。
いわゆる風俗関係の店などは、不要だとか不謹慎だとか様々な議論があったらしい。それでも、人間は様々な欲望を持つのが当然だから、徐々にバー、居酒屋、インターネットカフェ、メイド喫茶などが造られた。さらにそれ以後は、絶望の町の住民である若者向けにホストクラブ、キャバクラ、ゲイバー、そしてソープランドなどの風俗関係の店までが出来たのである。
希望の町や絶望の町の設立や造営に関わった人たちは、人間の社会は綺麗事だけでは成立しないということもよく理解していた。だから、様々な議論があったにも拘わらず、あとから風俗店もゲイバーもレズビアンのためのバーもあるような町になった。
欲望の町で働く人たちは、みな本土から出稼ぎに来ていた。非合法な店はここにはなかったが、彼らは、この島に三年もいるとなぜか気が滅入ってくるとみんなが口をそろえて語っていた。
なぜなら、希望の町からのお客はみな終末を迎えようとしている人たちとその家族だし、絶望の町のお客はというと、若いが何となく世間とうまく歩調が合わせられない人が多かったのは事実だった。
だから、長年欲望の町にどっぷりと浸かっていると、そういうお客ばかりを相手にするので徐々に調子が狂い出す。だから、みんな三年もしないうちに本土に帰って行った。
絶望の町の住民の中には、欲望の町の風俗店で働く女性と恋愛関係になって結婚する人もいたが、そのような場合には絶望の町では働けなかった。
そんな場合の選択肢は二つあった。本土に帰るか、さもなければ希望の町に移住するかである。なぜなら、独身でなければ絶望の町には住めないし、 独身者でなければ欲望の町には働く場所がないのだった。
希望の町にいる若者といえば、私だけだったし、希望の町は人が生きるためにある町ではなかったから、彼らは全員が本土に帰った。
絶望の町で働いたことのある人の中で、希望の町に移住した唯一の例外は、私の妻である。その事は、追々分かってもらえるだろう。
さて、希望の町には老人しかいないから、古い価値観にがんじがらめになっている高齢の看護師の中には、欲望の町の話を聞いくだけで眉をひそめるもいたのは事実だ。
当時の私は、若者の一人であり、眉をひそめる人たちのように枯れてはいなかった。また、人間の動物としての欲求を無視した町作りをしては、そのうちに誰もいなくなることが明白だから、この町が作られたいきさつについては納得できたものだ。
絶望の町で働く人は交代で希望の町の清掃やメンテナンスや修理に来て宿泊したものだ。だから、みんな何かしら特技を持っていた。中には一人でいくつもの役目を果たす人もいないわけではなかったが、
彼らの希望の町での仕事は、できるだけみんなで公平に分担した。エミリーや私の妻のように、ペットを連れてきて病人と触れ合いで人を癒すことに貢献する人もいた。
絶望の町の住民は、何かしら特技を持って貢献できていれば、住居も食事も保証されていたし、もちろん給与ももらえた。絶望の町にとっては希望の町は唯一の重要な取引先であり、勤務先であり、自分たちの住む町の根拠でもあったのだ。
非番の人の中にはサーフィンや魚釣りに精を出する人もいるし、絵画や写真、音楽などに親しむ人もいた。ここは一種の共同体であり、仕事さえ分担していれば誰もが自由に生きていけたのだし、実際に自由に生きていた。価値観の押しつけも羨望も妬みもなかった。彼らの間では差別は一切なかった。
組織といっても物事を推進する際に、最年長者がリーダーとして仕切るという程度だが、リーダーも常にみんなに対して支配権を振るったり、尊大な態度をとったりはしなかった。そんな事をすれば、みんなから吊し上げをくらうからだ。つまり、強い連帯と緩やかな支配があるだけだった。
みなさんにしっかりと覚えておいてもらいたい唯一のことは、絶望の町で働く若い人たちは、過去のある時点で悲惨な環境に置かれていた若者だったということだ。
ある人は、父親の家庭内暴力に困り果てた母親が、暴力から逃れるために離婚した際に、父親が親権を持っていたため、それに反発して家出をした。ある人は、恋人に捨てられたため自殺を図った。また、ある人は、若い身勝手な親のために捨て子となった。さらには、引き籠もりで問題児になった人もいた。何回もリスカを繰り返した人もいた。
いわゆる世間の落伍者や欠落者となった若者たちのうちの、厳しい矯正と教育、無限の優しさと癒しでごく普通の人間になった若者だけが、「絶望の町」で暮らしていたるのだ。そこでは、本人たちの過去は一切問われることはなかった。あくまでも現在は普通の人間として必死で生きているけなげな若者たちだけが、絶望の町に住む事が出来たのである。
だから、あのけなげな若者たちが住む町では、犯罪は一切なかった。詐欺や窃盗、強盗、殺人、自殺などとは無縁の町であった。その素晴らしい町がなぜ絶望の町という名前なのかは、私は知らなかったし、周囲のみんなも無関心だった。
私は、例えばマサキがどんな理由でこの町に来たのか、ユージの場合はどうなのか、エミリーの場合はと、みんなの事を分かっていたが、それはここでは書きたくもない。
ところで話題は変わるが、エリザベス・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』という著書で一躍一般人にも浸透した考え方がある。それは、五つの段階を経て人は自分の死を受け入れていくという、言語によって思考する人間にしかありえない、精神上の死のプロセスである。
第一段階は、「否認と孤立」である。それは、一言で言えば、医師からもう快復の見込みがないと告知された場合に、自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
第二段階は「怒り」である。それは一言では、なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
さらに、進んで第三段階に入ると「取引」の段階である。それは、なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
第四段階は「抑うつ」であり、この段階ではなにもできなくなる。
そして、最終的には第五段階の「受容」に進む。それは、最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。
もちろん、全ての人が例外なくそのようなプロセスを踏むとは限らないが、おおむねこのような経過を辿ると見なされている。本当にそのようなプロセスを踏んで人が死を受け入れるかどうかは、医者でも看護師でもない私には分からない。さらに、これは米国人の場合に当て嵌まることであり、日本人の場合にも当て嵌まるのかどうかは、専門家ではない私には難しすぎる問題だ。
今までも私は、人が死ぬ場面に直接立ち会うことはなかった。今、私自身が衰弱しつつあり、この説が正しいのかどうか理解出来るのは、時間の問題だ。
さて、私がこの死のプロセスの話をここでしたのは、何もこの説を私が検証しようと言うのではなく、単に私個人の興味にすぎないのだが、冒頭で挙げた長島さんの話を聞いてからは、第五番目の「受容」のプロセスについては間違いないのかもしれないと思ったのでここで触れたのだ。
それと、けなげな若者たちが、地獄の底の生活から這い上がったという事実がある。彼らのように悲惨な過去を背負った若者たちが、ごく普通の人間になったということは、過去の全てを大嫌いだった自分自身をも受容したからこそ、彼らが生まれ変わったのではないかと、私は密かに思っているから、ここで話題にしたのだ。
もうひとつ言っておきたいことがあった。それは、希望の町に来る人はみな、よその町から終末医療を受けに来るが、この町を生きて出て行く人はいなかったという事だ。付き添いの家族を除いては。
この町を出て行くのは、本土で埋葬される遺体だけだった。短期的に滞在する患者の家族を除いては。
ただ、希望の町と絶望の町の住民や患者の家族が、欲望の町の歓楽街や商店を訪問することはできた。患者の具合がよければ、家族同伴の外出許可が出て、商店で買い物をすることだって可能だった。
人間は、ずっと緊張していると緊張が続かない。ゴムでも伸ばしているだけではだめで、やはり縮めたり元に戻したりしなければならない。そんな考えから、息が詰まるような緊張から解放されるのは必要な事だという考えで全てが設計されていたのだ。
だから、患者が苦しんでいる時に、家族が外食などするのは、患者に対して不謹慎な行為だという考えの人は、そもそも希望の町には入れなかったのである。
ホスピスに入っている患者は、ホスピスで十分なケアを受けていた。付き添いの家族はといえば、ただ専門家に任せきって患者の苦痛がないことを祈るしかない事をよく認識していた。
人生の最後の時だからこそ、家族と一緒に楽しく過ごしたいが、家族を自分のためには束縛しない、という考え方の患者のみが、希望の町でケアを受けられたのである。

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喪愛記 二 奇妙な仕事 [小説]



さて、この希望の町における私の仕事は雑多であったが、その中には普通の人にはてとも理解不能なものもあった。
それは、この町で起きる事件や出来事を記録するのという役目だった。このことは、私がこの町で誕生したただ一人の人間であるということと関係している。その事については追々書き足していこう。
私の実質的な育ての親であり先生である太源寺の忍海和尚から、ひとり私だけがこの特殊な町で誕生したという理由から、私は記録係を一生の仕事にするようにと言われたのだ。
こんな奇妙な仕事に従事するのはこの町ではもちろん私だけだった。和尚に向かって、どのように書けばよいのか分からないと私は反論した。すると、何でもよいから気が付いた事柄を書けばよいとだけ和尚は言った。例えば、私に好きな女性ができたら、それもこの希望の町の記録として書いておくようにと言ったのだ。
それにしても、こんな特殊な町の特殊な出来事やハプニングなど書いても何の役にも立たないし、記録の使い道もないと思った。そのことは、育ての親である和尚には言わなかった。ましてや、私個人の恋などにどんな意味があるというのだろうかと思ったりしたものだ。
さて、実際にこの町の大きな変化をこの目で見た者として、ここにささやかな手記を残しておきたい。もはや私の記録係としての役目が終わろうとしているのだから。
毎日単調な日々が過ぎた。この奇妙な町の記録係以外にも、私の役目はあった。それは、大門の事務所で出入りする人の見張り番とか、マイクロバスの運転手であった。そのことは、東海林さんの入院の際の話で理解してもらえたと思う。
この町にはだいたい一日一人くらいのペースで新規入院患者とその家族がやって来た。そしてまた、一人か二人は毎日必ず新しい世界に旅立つのだった。
私は朝になると港で新規入院患者とその家族を出迎えた。それから、事務所で新規入院患者の家族のために、各種生体認証や暗証番号の手続きをした。さらにホスピスへの案内などの仕事をこなした。午後三時頃になると、この島を去ってゆく遺族を港までマイクロバスで送り届けた。従って、朝と夕方の二時間程度は、私は多忙を極めたのだった。
朝になると港から食料、飲料、日用品、薬品、医療用器具などの多量の物質が配送された。これらの物質は、絶望の町に住んでいる若者たちが大型トラックで運搬してきた。大型トラックの出入りのチェックもなかなか多忙な仕事だった。
さらには、医療用に使用した注射針などの特殊な廃棄物のチェックとマニフェスト作りもという作業もあった。その具体的な事柄は、例えばこんな単調な会話の端から伺えよう。
「おはよう。今日はマサキの運転か」
「おはよう。ケンジ。本当はショーイチの番なんだ。でも、あいつ腹の具合が悪いんだ。しくしくとお腹が痛むんだって。昨日の晩ご飯の餃子を食い過ぎたんだろう。まあ、ショーイチはもっぱらサーフィンと食うことにしか興味がないからね」
「お疲れ様。あとで医療廃棄物の引き取りを頼むよ。マニフェストはここにある。一般ゴミは明日が回収日だったかな」
「そうだ。ケカジ。今度とても可愛い女の子が俺たちの町に来たよ。なんでも、ペットの世話が得意なので、エミリーと一緒に回るらしいけど」
「ふうん。そうか。じゃあ、終わったらまたここに寄ってくれ」
こんな風に、当たり障りのない、仕事に関するやり取りばかりが進展するのだった。この小さな町で単調な日々の繰り返しに長い間浸っていると、他人に干渉するのも、されるのもいやになる。
また、毎日のように顔を合わせて話をしているので、お互いの気心を知り尽くしていた。だからこそ、余分な事を言わないのが礼儀だった。
多忙仕事が一段落しても、監視カメラのモニターをチェックしなければならなかった。
忍海和尚が私に奇妙な命令を下してからしばらくの間は、記録に値する出来事などには遭遇しなかった。やはり、私が恋をしたときにでも何か記録するということになるのかもしれないと自嘲したものだ。
ついでに説明しておくと、私の家は大門の外側の左手の方にぽつりと建っていた。天涯孤独の私にはいささか広すぎるくらいだが、日中は日が差し込んで暖かい。八畳の和室が一部屋、十二畳のLDKが一部屋だけだった。バスとトイレも完備していた。私は、今は廃墟となったこの町に残ったその家で自らの意志で体力と気力を磨り減らしながら、この記録を認めている。
この家は、太源寺の忍海和尚が孤児の私のために奔走して資材を集めて、少しずつ絶望の町の若者たちと一緒になって建ててくれたものだ。当時絶望の町にいた、この家の建築に携わった人たちは、今ではもう誰もいない。みんな日本のどこかに散らばっていったのだ。
この家の建築に取りかかった頃の忍海和尚は当時すでに五十を少し過ぎていたが、天涯孤独だった私が、自分のことは自分でできるようになってから私を引き取って教育してくれた。それまでは、私は老齢の看師さんに交代でミルクをもらいおしめを取り替えて貰ったと聞いている。
もちろん、私の記憶が定かになるのは六歳か七歳頃であるから、その話がどこのまで本当かは私には分からなかった。それにしても、死に行く人々を看護する老齢の看護師が、赤ん坊を育てるというのは、何か因縁話もしくは怪談話みたいで、自分でも奇妙な感覚にとらわれたものだ。
忍海和尚は、誠に慈悲深い人だったという記憶しか私にはない。和尚は私をまるで実の子供のように教育してくれた。ただ本心を言えば、子供の頃に遊び相手になる子供が周囲にいなかったのが、私には淋しかったし、毎日老人ばかり見ていたので、なぜここにはお兄ちゃん、おねえちゃんがいないのかと、子供心に不思議に思ったものだ。和尚が私にしてくれた教育は本当にありがたいものだと、和尚に感謝している。
前にも書いたが、町の出入り口はただ一カ所ある大門だけだった。一度この門を潜った病人は、もう別の町に移住することは出来ない。ここは政府公認の終末医療特区なので住民票を移す必要があるが、一度住民票を移したら二度と他の町に移住できないようになっている。
従って、ここに移住するには特別な申請が必要であり、許可が下りるまでには何度も調査とか検査とかがあった。少しでも完治の余地がありそうならば許可は下りなかったのだ。そうして、ようやく許可を貰った病人のみがこの町に来ることになっていた。ただの老人や病人というだけでは、この町には入れなかったのだ。
死を待つだけの病人の気持ちがどんなものであるかは私には想像出来なかったが、今死につつある私には少しは分かるつもりだ。当時この「希望の町」で死を待つばかりの人達は、きっと静かな諦念に満ちていたのではないかと思う。私も今、近いうちに尽きるだろう自分の命を見つめているから、そんな気がする。
人は必ず死ぬ。死に対する思念を深めるたびに、私はこんな風に考え込んだ。母の胎内で羊水に包まれて過ごした十ヶ月あまりの幸福と引き替えに、人は元来た場所へ帰られない片道切符を手に入れなければならないのだろうかと。それとも瞬間の苦痛の向こうには、安楽と輝きに満ちた道の世界があるのだろうかと。
いずれにしても、死については私に選択権があるわけではない。人間の意志で制御できるようなものでもない死の事を考えても一文の得にもならないのだが、どうしても私は死について考えてしまうのだった。
今まではそんな風に考えていた私が、今自らの意志で食を断って命を絶とうとするのは、なんという矛盾であり、不条理なのか。
人生に満ちているのは、矛盾、不条理、皮肉、悪意、虚偽、虚無などばかりだ。それらは、一言で言うと、いずれも人生に挫折感を与えるものばかりなのだが。しかし、人生というのは、時折混ざっている真実、善、慈愛、歓喜、昂揚、興奮、充実などによって、人生の素晴らしさもまた味わうことができるという皮肉な構造なのだ。
お断りしておくが、私は人生とは虚無だと言っているわけではない。苦痛ばかりで、死んだ方がましだなどと言っているのでもない。ただ、人生とはなんと、皮肉や不条理、矛盾に満ちているのだと言いたいだけだ。
さて、この町が受け入れるのは、次のような条件を満たす人だけだった。私は医者でもないし、医療関係者ではないから、看護師の葉山さんから教えて貰ったことを書くだけで、私の記憶や理解が間違っているかもしれないし、なによりこの話を聞いたのは、ずいぶん昔のことなので記憶が定かではない部分もある。
まず、第一に本人も家族も事前によく話し合っていて、本人も家族も延命治療を望まずに終末医療を希望していること。
さらに、余命三ヶ月程度でまだ歩ける人、もしくは寝たり起きたりの生活になりつつある人。なぜなら、寝たきりになってしまった人には、世間と隔絶して静かに家族と一緒に終末を迎えるというこの町の最大の特徴が伝わらないからだ。
ただ、余命三ヶ月と言われても、時として半年やそれ以上保つ場合もあるので、医者の余命宣言は八卦のように、あたる場合あたらない場合もあったようだ。だから、寝たり起きたりの状態になりそうな時が、このホスピスに入院する時期として最適だと考えられているのである。
また、半年以上もこの島で暮らすのは莫大な出費を伴うし、家族にとっても負担が大きすぎるので、余命三ヶ月の確実性がかなりの程度で高くて、寝たり起きたりの生活になりつつある人を対象にしていたのだろうと、私は今になって思う。
それから、本人が家族と一緒に好きなように過ごしたいと考えていて、家族も長期にわたる看護の覚悟がありこの町で暮らすことに同意しているが重要である。家族が単にお金を払って後の面倒を一切見て貰いたいという場合には、ごく少数の例外を除いては受け容れてもらえないのである。
もちろん、この町で人生の最後の時を家族と一緒に過ごすのは経済的負担も大きくて厳しい。というのは、三ヶ月分の医療費、生活費など全額を事前に支払うことが入院する条件なのである。もちろん、差額は後で精算するが。
稀には冒頭で紹介した長島さんのように、大金を払ってここに患者を入院させても、家族が途中で看護を放棄し、本土に帰ることもなきにしもあらずではあるが、それはきわめて稀なケースだったと聞いている。
そういうわけで、一生の終わりに際して大金を支払って家族が患者と一緒にこの町で過ごす覚悟がある場合にのみ、この町で終末医療が受けられた。「受けられた」と過去形で書いたのは、もはや廃墟になってしまったこの町には、もはや私以外の人間はいない。そして、私は自らの意志で自分の生を終わろうとしている。
さて、この町で働く医師や看護師は、全員がここに住民票を移してここから生涯他の町には移らないことを誓約していたから、移住はできなかった。
高齢ではあるが、健康でこれから先もまだ十分に快活に生きられるような医師や看護師が、どんな理由でこの町に来たのかは、私にも皆目見当が付かなかった。
それからもうひとつ補足すると、ここでは新しい生命が誕生することなどはなかった。新しい生命が誕生せず、人は死んでいくだけの存在であるこの奇妙な町で、唯一の例外としてこの町で生まれたのが私である。
だから、私にしてみればこの町は私が生まれた故郷であり、天涯孤独の私はここにしか生きる場所がなかった。また、小学校や中学校などにも行かなかった。忍海和尚に様々な教育を施して貰ったので、勉強のたねに不自由するとこはなかった。なにより、私自身が、今まで他の町に移住したいと思ったことはなかった。
この町の唯一の例外となった私の誕生の話をここでしておこう。以下は私の実質的な育ての親である太源寺の忍海和尚との会話であるが、私は自分の生い立ちを何も知らなかったので、この話を聞いた直後は大変なショックを受けた。ただ、今では何も拘りはない。

それは、よく晴れた日で美しい夕焼けが海にゆっくりと沈む頃で、私が二十歳の誕生日を迎えた日でもあった。
「ケンジよ。お前も今日でもう二十歳か。歳月の足取りははやいものだ。もうそろそろ、お前にも本当の事を告げなければならないな」
「何の事ですか。和尚さん」
「お前のお母さんの事だ。お前のお母さんは、この島とは何の縁もゆかりもない普通の町で看護師として働いていた。しかし、看護師として働くうちにたくさんの人が病気になって死んでいくのを見ていたので、いつかは人の最期を見届けるターミナルケアの分野で貢献したいと常々考えていた」
「はあ。そうですか」
「お前の父親と死別した後は頼りになる親類もいなかったので、これから生まれてくる子供とどうして生きていったらいいのかと途方に暮れていた。それで、お前のお母さんは勤務先のある医師に相談したのだよ。その人からこの町の病院での勤務を勧められたらしい。当時のお前のお母さんはまだ若くて綺麗だったから、お前の母さんは再婚を勧める親戚もいたけれど、再婚しようとは考えなかった。ここは働く人が全員高齢者という大変特殊な町だし、患者は死に行く人ばかりの不便な町だから、若い人は働きたがらない。ただ、待遇は非常に良いし福利厚生も手厚い。それで、未亡人には働きやすいと判断したんだろう。ただ、周りには子供がいないから、子供をどうするかという問題があるが、ともかく一度現場を下見に行ってはどうか、ということだったようだ」
「ところで、私の母がこの町来ようと決心した理由はなんでしょうか」
「この町が目指すターミナルケアというものは、延命を目的としない。それがお前のお母さんに合っていたようだ。お母さんは人間として、看護師としてではないぞ、人間として延命治療に疑問を感じていたようだ。患者の身体的苦痛や精神的苦痛を軽減することで、人生の質(Quality Of Life: :QOL)を向上させるのを主眼とすることも、お母さんが考える理想的医療だったらしい。緩和医療と呼ばれる医療行為に加えて、精神的側面を重視した総合的な措置がとられるという点もよかった。早くそんなホスピスで働きたいと思ったらしい。でも、ここは老人ばかりの町だから、若い人にはきつい、辛いことが多かっただろうから、どうして、お前のお母さんがここで働こうと思ったのかは、分からない」
あの日和尚が母の話をしてくれてから、もうずいぶんと時間が経つようでもあり、ついこのあいだだったような気もする。
私の母が、知り合いの医師から勧められたホスピスでの勤務はかなりの好待遇だった。ただ、絶海の孤島という特殊な場所であるので、若い人や中年の場合はほとんどの人が断ったらしい。その証拠に、医師も看護師もみんな健康で働けるが例外なく高齢者だった。
母はさんざん悩んだあげくに、好待遇に惹かれてこの町で私を産んで私と暮らそうと思ったのだ。今の私が天涯孤独であるように、私の父、つまり夫に先立たれた母も、当時は私を身籠もってはいたが天涯孤独の身だった。当時の母には、絶海の小さな島でターミナルケアに生涯を捧げるというのが、かえって気が楽だったのだろうと私は思う。
それにしても、悲劇はいつも前触れなしで突然人を襲うものだ。悲劇というオペラには序幕やオープニング、序曲などはない。突然にクライマックスが津波のように襲ってくるのだ。
母は、私を出産してから半年ほどしてから赴任する予定だった。なぜなら、この町は死に行く人たちのための町であり、そこで出産することが可能な病院などないことを知っていたからだ。
まだ出産まで二週間ほどある時に、本格的に赴任する前に、特別許可を貰ってこの町を下見に来たのだが、その時突然急な陣痛に襲われたのだった。この奇妙な町で、予定よりも二週間も早く私を出産すると、細菌感染による産褥熱と風邪をこじらせて肺炎を起こしてちとうとう帰らぬ人となった。今の私の年齢よりもわずかに二つしか違わない、享年二十九歳の薄幸な母であった。
ここには老人用の医療機関はあっても、この町で出産する妊婦などを想定していないので、産婦人科の知識のある人もいず、手の施しようがなかったという。そんな訳だから、私は母の匂いも甘酸っぱいおっぱいの手触りも知らない。
私は、そんな母なしの孤児として、またこの町で唯一の新生児として、看護師さんが中心となって交代で育てられることになった。
私が生まれた直後は母乳がなかったので、粉ミルクを取り寄せるにも苦労しただろうと感謝するのみだ。ただ、そんな奇妙な運命に魅入られた私の救いは、当時私を育ててくれた看護師さんたちからすると、突然孫が空からやって来たようなもので、大変可愛がってくれたことだ。
やがて物心が付いて身の回りの事を自分で始末できるようになってから、教育の問題もあって太源寺の忍海和尚に引き取られたのだ。
一方、私の父はというとある日突然謎の自殺を遂げたらしい。和尚は父の事には一度も触れなかった。父の自殺は、母が私を身籠もった直後の事だったようだ。だから、私は父の顔や声については全く知らない。母が亡くなった当時、母の財布の中にまだ若々しい父と母の写真が一枚あった。
忍海和尚は私の実質的な育ての親であり、教育を施してくれた恩師である。その和尚から後年預かり物だということで母の遺品を貰った。母の遺品の中からその写真が一枚出てきたのだ。
当時の関係者の誰かが大切に保管してくれていたのだ。私にはその写真の人たちが自分の父親と母親だということを知ってはいるが、私自身が写真の中の父親よりはずっと年長になったので、まるで実感を伴わなかった。
だから、私の身体は両親から授かったが、育ての親はこの町で当時の看護師や医師のみなさんだというわけだ。残念なことに、私が出生した当時の事を知る人は今では皆無だ。私の母も、太源寺の忍海和尚も、今は土の下で静かに眠っている。
ところで、絶望の町の住民のチーコは、お菓子を作るのが得意だった。だから、この島の手作りケーキの生産に、仲良しのマチと一緒に携わっていた。彼女らが作るティラミスやチーズケーキは美味しかった。チーコの話では、小さな島のことなので、全て受注生産にしないと無駄が出ると言っていたから、たぶん全て受注生産にしていたのだろう。
私もチーズケーキやロールケーキなどを定期的に買っていた。自分で食べる場合もあったが、看護師さんに分けたり、絶望の町の知り合いの突然の訪問に備えたりしていたのである。
絶望の町の名パティシェのチーコが一度、この事務所に遊びに来たことがあった。その時、チーコは今この歌が流行っているんだと言って、「千の風になって」という歌を歌ってくれたことがあった。その歌自体は壮大な、美しい歌ではあったが、私はその歌を聴いた瞬間、あの発想は西洋人の発想だと思った。
私の母も、そして忍海和尚も、この町のこの太源寺の墓の下で眠っていると、私は信じていた。だから、母や忍海和尚にはいつでもこの太源寺の墓地に来れば、愛に来ることが出来ると、私は信じていた。
ましてや、母や和尚が千の風になってあちこちを飛んでいるのは、私には耐えられなかった。
生きている人間は、たとえ相手が死者であっても、その死者が自分の大切な人であれば、いつでもその人の墓の前に行けば、会話が出来るというのが、日本人の心情に合っているのではないかと、私は思ったものだ。
残念ながら、私は純粋な日本人だから、この発想を変えるのは私には不可能なことだった。そして、私は今衰弱した身体を、母と忍海和尚が眠るこの太源寺の墓の前に運んで、そこで息絶えようとしているのだ。
私が生まれた当時の医療機関の医師も看護師もみなそれなりの高齢者だったし、病院に入っている人はみな終末療養をしている人たちばかりで、私の成長とともに次々と亡くなった。そのことを考えると、ある意味では私は父と母の命を奪い、私はこの町で死んでいく人たちの命と引き替えに私が成長していったのだとも思った。
それは比喩ではなく、親の犠牲の下に子供が成長するのは、生物として真っ当なことなんだろうとも思う。そして、私自身もいつか配偶者をえて子供ができたら、きっとそのように振る舞うことだろうとその時は思ったが、結局はそれさえも出来なかった。
そんな自分の過酷で無惨な運命に気が付いたのは、ずっと後のことだった。

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喪愛記 一 希望の町 [小説]

一 希望の町

今は廃墟となったこの小さな町に来る人は、みんな人生の穏やかな最後の時を過ごすためにだけ集まって来た。命が燃え尽きる時まで、必死で生きるという目的のためにここに来る人は、かつていなかった。
もちろん、この奇妙な町に来る直前までどこか他の町で、みんなはしたたかに生き抜いて来たのだった。情に流され、怒りに燃え、ある時には冷静沈着に対処し、あるいは狼狽し、不条理と矛盾に満ちた現世の荒波を知恵、意地、努力、涙、笑い、忍耐などのさまざまな感情や思いで、なんとか乗り切って来たのである。
どんなに頑健で生きるのに貪欲な人にも、必ず老いは迫ってくる。老いて病を得てから、最期の場を求めてみんなはこの町に来たのである。
私個人のことを言えば、私はこの奇妙な「希望の町」と呼ばれた町でしか生きられなかった。そして、誕生から死までをこの奇妙な町で過ごした唯一の人間だった。そんな奇妙な人間の手記にどんな意味や価値があるのかは、私には分からない。ただ、私の肉体はあと数日で地上から消え去るが、この町に関する記録を、このまま私の肉体と共に消滅させてしまうのは忍びない。
人の生き死にというのは、他の動物と同じことで実に至極単純なものだ。人間も動物だから単にこの世に生まれて死んでゆく。ただそれだけのことだ。その意味では、人の死とは至極単純なものだ。 
しかし、人間というのは勝手に様々な解釈を加えたりするし、時には推測や誤解に満ちた解釈をする。だから、ある時には非常に単純明快な事柄が、とても複雑怪奇に思えるのだろう。
人間は、死について考えることが出来る唯一の動物である。猫などは、死期が近づくと家から姿を消すが、これは猫が自分の死期を悟って死に場所を求めて家を出るのだろうと思う。しかし、どう考えても猫が死を思索するとは思えない。
この、本来は単純な表情のはずの生と死は、人間が死を思索するという悪癖によって、表情が大きく一変して複雑怪奇なものになるのである。だからこそ、生身の人間は、いつもこの単純明快な表情と複雑怪奇な表情の狭間で翻弄され、揺れながら、あるいは漂いながら生きてゆかざるをえないのだろう。
ところで、人は終末にあたって何を望むのだろうか。この町で実際に起きた、私が知っている例をひとつ挙げてみたい。
この話はまだ私が二十歳をいくつも出ていない頃のことなのだが、もうずいぶん昔のことのように思える。それに、この話は私が直接見聞きした話ではなく、知り合いの看護師さんから教えて貰った話なので、細部には記憶の間違いもあるかもしれない。ともかく、人は最期に何を望むのかという良い見本だと思う。

以下は、長島勇治さんという六十二歳の胃ガンの末期患者の話である。
中規模の自動車部品の会社員だった長島さんは、営業の上手な人だったが、学歴が高卒ということで、社内的な出世については恵まれなかった。しかし、趣味で始めた株式投資が高じて、本格的に株式で財産を運用するようになり、一財産を形成した人だった。
趣味で始めた株式のおかげで資産家になった長島さんは、定年をまたずに退職して、悠々自適の生活に入った。だが、退職して数年後の夏に突如体調を崩した。
深刻な顔をした医師から、どうしても精密検査が必要だと言われて精密検査を受けたところ、胃ガンが発見された。しかも、その時にはもはや手遅れという状態だった。
長島さんは、人生の最期を穏やかに過ごしたいという希望があって、なんとか伝手を頼んでこの町に来たのだった。
長島さんには息子が一人と娘が二人いた。息子の和幸さんは、大学を卒業したが定職に就かず、父親とは仕事に関することで鋭く対立していた。和幸さんは、その後単身で渡米し今も米国で生活しているという。
死期が近いことを悟った長島さんは、和幸さんと和解したいと考えた。できれば自分が死去する直前にも和解式をしたいという望みを持っていたのだった。
長島さんがその旨を看護師の葉山さんに告げたのは、もう年も押し迫った昨年の師走の中旬だった。長島さんは、当時はまだ命旦夕に迫るという状況ではなかったのだが、さほど長くはもたないと本人も思っていたのである。
「葉山さん。儂の話をきいてくれませんか」
「どうしましたか。気分でも悪いのですか、長島さん」
「いや、気分が悪いということはないのだけど」
「葉山さん。儂の二人の娘はここに面会に来たことがあるから、知っているでしょう」
「はい、存じ上げていますよ」

 そこまで話すと、長島さんは少し考え込むように目を閉じたまましばらく黙り込んだそうだ。葉山さんは、長島さんを見守るように静かに次の言葉を待っていたという。五分ほどすると、おもむろに口を開いて、こう言ったそうだ。

「実は儂には、和幸という息子が一人いるのです。和幸は、家族に黙ってアメリカに渡りました。それ以来、全く音信不通になったのです」
「おや、そうでしたか。それは知りませんでしたね」
「葉山さん、もう三十年以上も和幸とは会っていません。儂の反対を押し切ってアメリカに渡った和幸を、儂はずっとあいつを許さなかった。儂はもうだめだ。自分の身体の調子は自分が一番知っている。だから、この世を去る前にあいつを許して、あいつにも儂を許してもらいたいのですよ」
「長島さん。和幸さんは、アメリカのどこに住んでいらっしゃるのか、全くご存じないの」
「ああ、手紙一つ来ないものだから、全く分からない。娘達も和幸の住居などは知らん」
「それじゃあ、どうやって和幸さんを探すの。和幸さんの居所が分からなければ、和幸さんとの和解はできませんよ」
「幸子も真智子も最近は見舞いに来ないな。まあ、儂が死んだら儂の骨ぐらいは、本土に持って帰ってくれるだろうがね。あいつらも全く薄情なものだ。あいつらには家族があることだし。女房の春代は、ずっと前から寝たきりだからしょうがない。」
「長島さん、それはさて置いて、和幸さんのことよ」
「ああ、そうだった。本物の和幸でなくてもいい。誰か和幸になって和解を演じて欲しいのだよ。今から和幸の行方を捜しても、もう間に合わない。だから、葉山さん。演技でもいいから、和幸と和解をしたいのです。そうしないと、儂は死んでも死に切れない」
喘ぎながら切なそうにぽつりぽつりと語る長島さんの口調は悲痛だった。
「分かりました。それでは和解式ができるように、すぐにでも準備を始めましょう」
「おお、ありがとう。これで、儂も安心して逝ける。よろしく頼みますよ、葉山さん」
それから一週間後、和幸さんの役を演じる男性が、隣の「絶望の町」から派遣されて来た。
長島さんが所有している家族の写真の中に、家族全員で写っている写真があった。和幸さんが中学異性の頃の写真だった。その写真を基にして、年格好から判断して、三十後半と思われる男性の候補者を探したのだ。
しかし、絶望の町の住民は、比較的若い人が多い。もうすぐ三一歳の下田さんに白羽の矢を立てた。下田さんは、それでも年長組のひとりである。 
本人に似ていようがいまいが、ともかく下田さんには長島和幸さんの役割を果たしてもらわねばならなかった。

「おやじ。俺だよ、和幸だよ。わかるかい。許してくれ。俺はどうしてもアメリカでジャズの勉強をしたかった。努力の甲斐あって、ようやく俺たちのグループも今では、全米でも少しは名前が知られてきた。長い間本当に済まなかったね」
「おお、和幸か。儂が悪かった。許してくれ。儂は、学歴がなかったから、お前には大学を出て貰って、職場で尊敬して貰えるような人になって欲しかった」
「………」
「死ぬ間際になって、ようやく分かった。儂は、お前に自分の夢を押しつけようとしただけだった。今頃になってこのことが気になって仕方がなかった。親は親で、子は子だ。儂が間違っていた。お前は自分の好きなようにしたらいい。許してくれよ。お母さんのことを大切にしてくれ。最後まで家族は家族だ。いつかお前も儂のこの気持ちが分かる時がくる。本当に済まなかったな。和幸。儂もこれで安心して死ねる」
こうして、父と息子の和解式が演じられた。和幸さんの役を務めた下田さんも、感極まって滂沱と流れる涙をぬぐおうともしなかったと、葉山さんから聞いたことがある。長島さんは、声にならない嗚咽を上げていたらしい。
それから二週間ほど経った日の明け方、ナースステーションでモニターをチェックしていた看護師が、長島さんの血圧が急激に低下したのに気が付いて駆けつけた。
看護師が長島さんのところに駆けつけた時には、長島さんはすでに事切れていたという。長島さんの死に顔は、全てのものを受け容れて、全てのものを許すとでも言いたげな穏やかなものだったという。
私はこの話を聞いた時、どんなことであっても、許すということは人生の最大にして最後の仕事なのだと思った。それほど、許すという行為は、人間にとっては最大の難関なのだろう。
なんと言っても、許すという好意は、過去の経緯の一切を忘れて、あるがままの全てを受け容れるということだ。従って、許すという行為は、人間には最も受け容れがたい、最後の行為なのだろうと思った。

さて、話をもう一度この町に戻そう。
この町では、病院の存在は治療のためではなく、穏やかな終末を迎えるためだけにあるのだった。終末を迎えるための病院と、葬儀関係や埋葬関係の施設、そして、それらの仕事に従事する人たちだけが住むこの町は、なんとも皮肉なことに「希望の町」と呼ばれていた。
穏やかな終末を求める人が集まって来た町なのだが、いったい誰がこんな皮肉な名前を付けたのだろうか。
そして、隣にある元気のいい若者たちが住む町は、「絶望の町」という、これもまた皮肉な名前の町だった。
入院患者を除いては、みんなごく普通の健康な人たちだったし、たいていは本土から必要に応じてやって来た。
医療関係者以外でずっとこの町に住んできたのは、二つあるお寺の住職と、天涯孤独の私くらいのものだった。神父さんにいたっては、全員が本土からやってきたのだ。
ここに居住していた医師や看護師は、しかし、世間一般の現役の人たちに比べるとかなり年齢的に高い人たちばかりだった。
過去の全てを捨てて、自分の生涯を最後までみんなに奉仕して生を終わりたい、という人たちのみがここに来て働いていた。
自分も生の終わりはこの町で過ごすという固い決意の人のみが、ここでひっそりと助け合いながら働いていたのである。
この希望の町があるのは、三日月島という名前の小さな島である。三日月島は、医療特区として人工的に作られた島だ。この島には三つの集落があった。ひとつは「希望の町」だ。
そして、若者が多く住む「絶望の町」があった。その「絶望の町」に住む若者たちは、さまざまな仕事に従事していた。この間口に住む若者たちに共通していたのは、いつでも好きなときにサーフィンやヨットなどのスポーツを楽しむことができることが、ここに住む決め手になっていたことだ。ある程度の仕事をすれば。住居と食事は確保できるし、収入も悪くはなかった。
もう一つ、「欲望の町」というのもあった。この三つの町の奇妙な名前と役割については、この物語を読み進めるうちに読者諸賢に、自然と分かってもらえるはずだ。

三日月島という名前のとおりに、三日月状の島の先端にあたる部分が、北に位置していて、そこには大型船が出入りできる港があった。その港だけがこの島の唯一の出入り口であり、船だけが本土と行き来できる手段だった。
港に一番近い部分には欲望の町があった。
三日月状の一番窪んだ部分は長い砂浜になっていて、その浜辺の中心部から絶望の町が広がっていた。
さらに、私がいる希望の町は、三日月状の下側の部分にひょうたんのような形の岬に広がっていた。
今は、その三つの町が全て廃墟になっていて、どこにも連絡が取れないで死に行くばかりの私の頭にだけ、それらの町は存在するのだ。
ところで、新規に入院患者が運ばれてきた時には、私が通常同伴のご家族をご案内したものだ。
新規入院患者が希望の町に来る場合は、患者さんが家族に伴われて本土から港に到着する。そこで私が操縦するマイクロバスに乗り換えてもらい、島の膨らんだ部分を海岸線に沿って三十分も走ると希望の町に着く。
それが通常のパターンだった。未来永劫この町がある限りこのパターンは変化しないだろうと、当時の私は思っていた。それが、まさかこんなことになるとは。
港と希望の町を繋ぐ自動車が走れるような広い道路は、海岸線を走る道路がただ一本あるだけだった。
希望の町に到着すると、入院患者は自力で歩行可能か否かに拘わらず、待ち受けている担架でそのまま直ちにホスピスまで運ばれた。ただし、患者が車椅子で来いて、自力で車椅子を操作して移動できる場合は例外扱いだった。
一方、患者に伴ってきた家族はというと、直ちに私がいつも詰めている事務所で様々な手続きをした。
ここにはホテルなどはなかった。一家族四名から六名程度の人数が寝泊まりできるログハウスが合計で三棟あるだけだった。私の経験によれば、だいたい一日に一家族が大切な人の骨壺を抱えてこの町を去って行き、一家族が新規に来た。
希望の町の三方を取り囲んで黒い壁があり、一カ所には大きな門があった。門の右側の横には受付の事務所があった。私はいつもそこで受付の手続きとホスピスへの案内をしたものだ。
ある日、私は付き添いの若い男性からある質問を受けた。
「あのう、この町は『希望の町』と呼ばれているらしいけれど、終末医療のホスピスがある町ですよね。なぜ『希望の町』と呼ばれるのですか」
「その件については、ホスピスの院長にお尋ねください。私はただの門番ですから詳細は知らないのですよ」
 私にはこの手の質問に回答する資格はなかったので、こう答えるしかなかったのだ。
一度この町の頑丈な門を潜り抜けて中に入ったら、二度とは現世に戻れぬ死を待つばかりの人たちのための特殊な町だった、
この三日月島は、元々百人以上の住民もいる普通の島だった。主として漁業で生計を立てる住民が多かった。ある時、突如として呼吸器系統の感染病が流行した。不幸なことにその当時この島には医師がいなかったため、瞬く間に感染症が広がり住民全員が死亡したという。
そのため、呪われた島としてしばらく無人島になっていた。その後、日本にも本格的なターミナルケアを受けられるような場所が欲しいと考える財界人の集団の発案で、この島を再開発し直して終末医療特区として認可された。それから、人が住めるような町が形成されていった。
このホスピスが設立される頃には、賛同する人が相当増えたので、資金を集めるのには苦労しなかったそうだ。
ホスピスや患者の家族が住めるログハウスも希望の町にはあっただ。この町が設立されたのは、この島で最期を迎える人たちが苦痛のない最期を過ごすことだ。関係者全員の暗黙の了解として、医者がいないため十分な手当を受けられずに亡くなった住民たちの鎮魂のためだでもあった。
私は、作年のある夏の日のことを思い出す。それは、東海林さんというまだ五十代の男性で、末期ガンに冒されている人のご家族と交わした会話だ。
「この町の壁がない所は台地になっていて豊かに草花が生い茂っていると聞いていますが、本当ですか」
「はい、そのとおりです。四季それぞれに花々や草木が咲いてなかなか美しいですよ。春は梅、桜、辛夷、菜の花、海棠、藤、夏には紫陽花、朝顔、杜若、菖蒲、夾竹桃、秋には菊、柿、萩、鬼灯、サルビア、コスモスなど季節感に満ち溢れた花が咲いて、とても楽しい生活ができます」
「で、その台地の向こうは、どうなっているんですか?」
「台地の先端は懸崖になっていまして、その下には深い海が広がっています。岩礁はないのですが、とても深い海ですから、進入禁止となっています。なお、ホスピスの裏側の庭から一カ所だけ、砂浜に下りられるところがあります。浜辺は美しくて広いのですが、砂浜を少し先に行くと突然変化して水深が深くなっていますので気を付けねばなりません。そして、その浜辺の先に小さな突堤がありますが、そこに緊急脱出用のボートが三艘繋船してあります。この浜辺で感じる海からの風は、とても爽やかでいい気持ちですよ」
「この島の気候は年間を通じてとても温暖で、寒さに弱い老人には過ごしやすい所だとも聞きましたが」
「はい。ここの気候はとても病人や老人には過ごしやすい所ですよ」
頑丈そうな三棟のログハウスがホスピスを取り囲むように建ち並んでいて、夜になると美しくライトアップされるのだった。
バンガローの横には、桜、桃、辛夷、海棠、白木蓮、紫木蓮、藤棚などが少しずつ植えてあって、少しずつ楽しめるようになっていた。樹木が植えられた部分からやや離れた場所には、よく手入れされた花壇があって、紫陽花、コスモス、水仙、菖蒲、杜若、等の様々な草花があるので、ほぼ年中花を楽しめた。


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喪愛記 序 [小説]


「今は廃墟となったこの小さな町に来る人は、みんな人生の穏やかな最後の時を過ごすためにだけ集まって来た。命が燃え尽きる時まで、必死で生きるという目的のためにここに来る人は、かつていなかった」
まるでリルケの手記のような重々しい調子でその手記は始まっていた。その奇妙な手記を手にした経緯から説明しよう。

それは、ある夏の蒸し暑い日のことだった。書きかけた原稿用紙を目の前にして、何も構想が浮かんで来ずにいた私は、突然の電話のベルに驚いた。 
ただの貧乏作家に過ぎない私に、電話がかかってくることなど滅多にない。だが、たまたまそのときは家人が留守だったので、おそるおそる受話器を取った。電話の主は、長年の友人の羽田郁也君だった。
「あ、もしもし。山内君か。僕だよ、羽田だよ。」
「おお、羽田君か。いやあ、実に久しぶりだね。確か、最後に会ったのは…」
「横浜の中華街で君にご馳走になったね。ええと、十八年ぶりかな。君に電話したのは……。実は君に見て欲しいものがあるのだが。あのう、近いうちに会えないか。」
そういう会話を交わしたのは、三週間ほど前のことだった。彼は、不思議な手記を入手したと話した。現在は全く無名ではあるが一応物書きを自称している私に、その手記を是非読んでほしいというのだった。

羽田君は、この不思議な手記の価値がよく理解できないと正直に私に告げてくれた。もしもこの手記に価値があるのならこのままにしておけないで、世間に発表する方法はないかとも話した。
私は、現在物書きとして全く無名であるが、出版社には多少の知り合いがいる。どうやら彼は、物書きの私ならこの手記を世間に発表するいい方法を見つけるだろうと思ったらしい。
羽田君は、学生時代からごく真面目な質であるので、彼が嘘を吐くような人間ではないことは、私自身がよく知っている。だから、その羽田君の手元にあるという手記も、作り物などではなくて本物なのだろうと、私はその時思った。
ただ、その手記が本物であっても、どんな価値があるのかは、私が自分で確かめないと、判断の下しようがないのも事実であった。
彼にはエミリーという素敵な名前の叔母さんがいた。私も一度だけだが、羽田君の自宅でエミリー叔母さんにお目にかかったことがあった。
寡黙なエミリー叔母さんは、昨年子宮ガンで亡くなったという。叔母さんには羽田君以外には身寄りがなかったので、荷物は羽田君が整理したらしい。そのとき、「郁也へ」と記した大きな封筒の中には、貯金通帳や印鑑などとともに、その手記が入っていたのだ。
エミリー叔母さんは、羽田君の父親の妹であった。生涯結婚しなかったので姓は羽田のままだった。
エミリー叔母さんが残したメモによれば、自分の大切な思い出に残っている人から、「エミリー」に渡してくれと、ある人を通じてその手記が郵送されてきたということが分かった。
エミリー叔母さんがその手記を受け取ったのは、病床の中だったので、この手記を羽田郁哉君に託そうと思ったのであろう。
私はこの手記を通読して、この手記に登場する「エミリー」と、羽田君のエミリー叔母さんは同一人物であることを確認した。本当は、ご本人に面会して確認したいと、思ったのだが、すでに亡くなったのであれば、どうにもならない。
羽田君には申し訳ないことだが、この手記を基にして突拍子もない小説に仕立て上げようかと、一瞬思ったりもした。だが、その手記にはエミリー叔母さんの思い出が詰まっていることや、稀有な事が書いてあることなどを考慮した結果、そのまま発表する方が良いと判断したのである。
羽田郁哉君にもこの事を伝え、筆者は序の部分と終章のみを書書き加えて、他はそのまま発表するということで、了解してもらった。手記の中身について私が下手な解説をするよりも、虚心坦懐に読んで頂くのが一番よいと考えたのである。
ただし、「喪愛記」という題名は、私が主人公になり代わってつけたものであることを付け加えておこう。日本語の辞書にはどこを捜しても「喪愛」という言葉はない。だから「喪愛」というのは、私の造語である。しかし、この手記を世間に発表しようと思った私としては、この題名が主人公への哀歌として最もふさわしいと考えたのだ。

       

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